2024-01-01から1ヶ月間の記事一覧

自動化 ④

自動化された世界とはつまり、人間が生活に必要とする物資あるいは文化を、人間による助力なしに作ることのできる機械あるいはシステムの存在する世界のことである。 そういう世界でよく問われるのが、そこに人間の役割はあるのか、ということだ。世界を回し…

自動化 ③

完全に自動化された世界を作るうえで、技術的な障壁はなんだろうか。これもまた、たくさんのひとに考えられ続けてきたテーマである。 考え尽くされているから、結論らしきものはいくらでも出ている。もっとも普遍的で、政治的にもっとも正しく、それがゆえに…

自動化 ②

世の中を成り立たせるインフラのすべてが自動化され、人間が働かなくても生きていける世界など、はたして本当に来るのか。 来た場合に人類はどうするのか、というのがこの件に関する主要な問いのひとつである。一生を遊んで暮らせるのであればひとはそうして…

自動化 ①

都市機能を完全に自動で執りおこなうシステムというものは、未来世界のロールモデルとしておそらく、この世で一番頻繁に考察されている世界観である。 考えうるかぎり一番安直な世界観である、と言ってもいいかもしれない。というのも、産業革命以降の人類の…

症例報告 ②

回復とは凡庸に近づいてゆくことである。だからそのあとの経過に、面白いところはなにもない。 どうにか電車を降りたわたしはホームからエスカレーターを降りた。視界は依然として白かったものの、ホームの上のものはなんとか識別できた。いまにして思えば、…

症例報告

今日の昼、大学に向かおうとしたところ、電車の中で身体がおかしくなり、危うく倒れるところだった。またとない機会なので、そのときの状況を記録しておくことにしよう。 発端は駅への道中だった。汚い話で恐縮だが、最寄り駅につく直前、肛門が悲鳴を上げ始…

可能性の話 ⑧

忘れたと書いたがあれは嘘である。 当時のわたしが考えていたことの多くを、わたしはいまも覚えている。もちろん忘れてしまったこともいくらかはあるだろうが、大部分は覚えているか、言われればそんなこともあったと思い出せる。なにせ、まだ一年と少ししか…

可能性の話 ⑦

例の大規模言語モデルを、最初に作ったひとたちがいた。 最初に作らなかったひとのなかで、それを作るだけの知識と能力のあるひとは、かれらに追随しようと試みた。それは革命的な技術に感銘を受けたときにとる行動として、考えうるかぎりもっとも生産的なも…

可能性の話 ⑥

あの人工知能はあのとき、いくつかの常識を根底から破壊した。機械の書く文章が人間よりも優れている場合があるという観念は、はじめてサイエンス・フィクションの領域から外に出て、現実のものになった。自然言語処理という技術分野の一部は、これまでずっ…

可能性の話 ➄

大規模言語モデルの出現に驚き、可能性という熱に浮かされたひとたちの一部は、そのモデルを使ってなにか有用なものを作ろうと試みた。それらのほとんどは結局、ただ普通にオリジナルのモデルを直接叩くのと大差ない結果しかもたらさなかったわけだが、当時…

可能性の話 ④

あのころ、あの言語モデルの出現を見て、ひとびとは本気で新たな時代の幕開けを予感した。そしてわたしたち、つまりは世の中の大多数を占めている、最先端の機械学習の論文を読むことができないためにその進展に直接寄与することのできないひとたちは、科学…

可能性の話 ③

大規模言語モデルが出現したあのころにわたしたちが感じていた、足元がぐらつくような危うい期待感を、いまもなお持ち続けているひとはきっと少ない。 ほんとうは変わらず期待するべきである、という理解はこの場合正しい。恥を承知で言うが、わたしたちが見…

可能性の話 ②

……というような話を、あのときは全員が考えていた。 あの革命的な知能が世に現れたころの話だ。 いまでこそ、やつらは当たり前の存在になった。その知能に対するわたしたちの理解は、当時にそう予言されたとおりの経過をたどり、最初におとずれた興奮は薄れ…

可能性の話

あなたはまだ、執筆作業に気力を費やしていますか? なにを書くか思い悩み、書き始めて立ち止まり、なかなか出てこない単語を調べ始める。論理のつながりを確かめて矛盾に気づき、あっちを直せばこっちがだめ。そうやって直しているうちにもう自分の文章を客…

無気力の比喩

やる気が出ない。 心臓と肺と胃のまわりに、ジュラルミンの鎧が取りついたかのような感覚だ。その素材は軽いけれども丈夫で、ただ立ち上がって歩くだけなら問題はないが、それ以上のことをしようとした途端、がっちりとした存在感でもってわたしを締め付け始…

比喩 ⑪

比喩には芸術的な側面があるとはいえ、それでもなお情報伝達の手段である。だからうまく伝わらなければ、それは失敗した比喩だと言わざるを得ない。そういうたとえは避けるべきだし、避けるのに失敗すれば、書いたやつが悪い。 しかしながら同時に、比喩とは…

比喩 ⑩

簡単な比喩について、語るべきことは多くない。それはただ単に面白い表現以外のなにものでもなく、わたしたちが表現できることの範囲を広げてくれるようなものではないからだ。 語るべきことをわたしがそんなに持っていない、というほうが正確かもしれない。…

比喩 ⑨

なにかを正確に伝えるうえで比喩こそが最良の表現である、という状況は、思っていたよりも頻繁に発生する。 信じていたよりも、と言うのが正しいかもしれない。というのも、わたしは論理というものの表現能力を過信していたからだ。 わたしの世界観において…

比喩 ⑧

なにか別のもののたとえとして特定のことがらを使うとき、その特定のことがらについて、作者がよく知っていて書いているとは限らない。 読者が知っていることも期待されない。というか、読者もまた知らないということがむしろ、暗黙のうちに仮定されている場…

比喩 ⑦

それが適切な文脈であらわれたなら、「内臓をかきむしられるような」と表現される痛みを、わたしたちは問題なく想像することができる。 それは想像として完璧なものではないだろう。なにせその表現が対象としている読者のほとんどは、実際に内臓をかきむしら…

比喩 ⑥

現代に生きている以上、わたしたちは非常に頻繁に比喩表現を目にすることになる。 そのすべてが共感できる表現であるわけではない。作者にとっては分かりやすいのかもしれないけれど読者には分からないたとえというものは存在して、そういうときわたしたちは…

比喩 ➄

過去に見たことがあったり書かれていたものを読んだりした景色を脳内で思い描くという能力に、わたしは正直、あまり自信を持っていない。 映像の記憶力とでもそれを呼ぼうか。絵を描いたり映画を撮ったりするひとはきっと、その能力が高いのだろう。かれらは…

比喩 ④

情景について書いた文章は、その情景そのものではない。たとえどれほど細部にわたってこまごまと正確な記述を試みたところで、そもそも情報量がどうやっても足りないから、どうしようもない。 このレトリックは普通、文章という表現形態の限界を示すためのも…

比喩 ③

真空を切り裂くような冷たい音の一閃。こう表現される音はどんな音だろうか。 文字通りに見れば、この表現にはいろいろとおかしなところがある。音は真空中を伝わらないというのはたしかにそうだが、それ以上に、音は冷たくならない。さらに言えば、「一閃」…

比喩 ②

比喩という表現技法に求められている役割はひとつだけだ、とわたしは信じ込んでいた。 役割というのは文章に詩的なフレーバーを持たせることである。実際に見る比喩表現のほとんどには多かれ少なかれそういう側面があり、詩情なるものの持つ力を用いてなにか…

比喩 ①

普段、わたしは文章の中で、めったに比喩表現というものを使わない。 というのも、比喩とはあいまいだからだ。文章にはたしかに芸術としての顔があるが、それ以上に正確な情報伝達のための手段である。比喩とはひとによって受け取りかたが違うものだから、伝…

奇妙な取り合わせ

年始はだいたい終わり、そろそろ世の中は通常営業である。 年末年始などどうでもいいとわたしは言っていた。それは過剰な解釈を与えられているだけの普通の休みであり、非日常でなければならぬという制約にがんじがらめにされた息苦しい日常である、と定義し…

別人

一年後の自分は別人である。 半年後でも余裕で別人である。明日の自分はさすがに同一人物である。二か月後だとちょっと怪しい。一か月後の自分は、さすがに同一人物だと信じたい。 来年の正月、わたしは別人である。それはもちろん環境が変わるせいもあるだ…

行事の賞味期限

年始とよばれる時期がそろそろ終わる。 いや。終わるわけではない。年始には明確なはじまりこそあるが、明確な終わりはないからだ。一月四日は単なる平日ではなく、一月三日にすこし及ばないくらいの年始である。具体的に例を挙げるなら、たとえば「あけまし…

年始と非日常と日常

年始という時間のことを、わたしはあまり好きではない。 一番の理由はテレビがついていることだ。内容に興味がある場合を除いて、テレビがついているのは好きではない。内容に興味があるのはビッグニュースか野球中継くらいであり、したがって野球がオフシー…