自動化 ③

 完全に自動化された世界を作るうえで、技術的な障壁はなんだろうか。これもまた、たくさんのひとに考えられ続けてきたテーマである。

 

 考え尽くされているから、結論らしきものはいくらでも出ている。もっとも普遍的で、政治的にもっとも正しく、それがゆえにもっとも軽薄な結論は、そんなものはない、ということである。

 

 人類はこれまでもたくさんの障壁を乗り越えてきたから、これからも乗り越え続けるだろう。かれらはそう理解する。そう理解することは簡単なうえに当たり障りがないから、この話に興味がないのなら、そう信じるのが一番いい。

 

 そうは言わないひともまた存在する。

 

 その話をする前にひとつ、身もふたもない話をしよう。

 

 極論を言えば、世界のすべてを自動化する手段は存在する。簡単だ。いまの世界を回しているのは人類なのだから、人類をそっくりそのまま模倣する存在を作ってしまえばいいのだ。現代工学の一部は実際に、そういうことを最終目標にしている――精神面は人工知能分野が、肉体面はロボット工学分野が、それぞれ真剣に取り組んでいる。

 

 そういう存在はあまりに人間らしい。人間らしいせいで、人格やら人権やらを認めなければならない。それは問題である。そうなれば、わたしたちはかれらを機械だと理解できないし、かれらのいる世界を自動化された世界だとは直感できないだろうからだ。さらにいえば、自動化された未来世界としてわたしたちが想像するのはもっと先進的な世界である。その点、いま挙げたような世界は現在の世界とあまり変わらないから、未来世界の条件を満たさない。

 

 けれどもそれは定義上、自動化された世界なのである。ただ一点、わたしたちはそんな話をしているわけではない、という点を除けば。

 

 繰返すが、いまの話は極論である。世界は自動化できる、と言ってこの例を挙げるやつは、殴られるか無視されてしかるべきだ。けれども同時に、完全に自動化された世界が実現されえない、という主張に対する正当な反駁になる。だからそういうことを言いたければ、未来として想像している世界がどんなものであるか、ということに、発言者は自覚的でなければならない。

 

 では、世界の自動化とはなにを意味しているのか。

 

 素朴にはきっと、生活用品や娯楽のすべてを生産する工場のようなものを想像するのではないか。

 

 その工場に入力はない。必要な素材はすべてロボットが取ってくるか、リサイクルでまかなう。メンテナンスも必要ないか、やはり専用のロボットがやる。中身は完全に無人である。それは災害などの予期せぬ事態への対応をも含め、すべてを自動でつつがなく執り行うだけの判断能力を持つが、いっぽうで人類に対する反逆を試みるような野心はない。