可能性の話

 あなたはまだ、執筆作業に気力を費やしていますか?

 

 なにを書くか思い悩み、書き始めて立ち止まり、なかなか出てこない単語を調べ始める。論理のつながりを確かめて矛盾に気づき、あっちを直せばこっちがだめ。そうやって直しているうちにもう自分の文章を客観的に見られなくなって、いま自分がそれを直しているのか壊しているのかさえも分からなくなる。そんな厄介な作業から解き放たれる日が、もうすぐそこまで来ています。

 

 あなたがやるべきことはたったひとつだけ。受け入れることです。これを自分が書いたのだ、という自己満足な事実からさえ自由になれれば、あなたの文章は飛躍的に良くなります。

 

 たくさんの文章を書いてきたあなたなら、執筆に読者の視線を取り入れることの重要さに気づいていることでしょう。書いたときの記憶を消してひとりの読者として校正がしたい、そう思ったことは一度や二度ではないはずです。そう。自分では絶対に気づけない論理の飛躍や表現の無駄、そういうものに読者は、筆者の何倍も早く気付くのです。

 

 そしてこれからの時代、読者とはあなたです。従来の意味での筆者は、べつの存在に任せてしまいましょう。わたしたちの提示する、画期的な選択肢に。

 

 人工知能こそが、その選択肢をもたらしてくれるのです。あ、いま、笑いましたね。

 

 待ってください。あなたのおっしゃりたいことは分かります。というか、織り込み済みです。なにをいまさら、と言いたいのでしょう。よく分かっています。

 

 ご存知の通り、人工知能の可能性が示されたのはしばらく前です。大昔、というほど昔ではありませんが、それでもこの加速する時代においては昔と呼んでも差し支えのない時代のことです。そしてあなたはその可能性を実際に体験した。食わず嫌いはしませんでした。そしてそのうえで、わたしを笑っている。

 

 あの知能の登場はたしかに衝撃でした。それはあなたも認めてくれることと思います。けれど同時に、あなた自身のかわりに文章を書いてくれるほどの存在ではなかった。それはあなたを補助してくれることはあっても、代替してくれることはなかったし、これからもしばらくはないだろう。あなたはきっとそう思っています。違いませんね?

 

 けれどももし、あなたがただ単にいまだ、あの知能の持てる力を十全に発揮できていないだけだとしたら? 人工知能にうまく働いてもらうための技術が、あまりに抽象的な職人芸なせいで、あなたにまだ共有されていないだけだったとしたら?

 

 その可能性が頭をよぎったことは、あなたにもあったでしょう。そしてその可能性をあなたは、少し触って排除した。ですがまだ引っかかりがあるのではないでしょうか? あなたが上手く使いさえすれば人工知能はあなたを代替してくれる、という可能性を、あなたは認めたくないのではないでしょうか?