症例報告 ②

 回復とは凡庸に近づいてゆくことである。だからそのあとの経過に、面白いところはなにもない。

 

 どうにか電車を降りたわたしはホームからエスカレーターを降りた。視界は依然として白かったものの、ホームの上のものはなんとか識別できた。いまにして思えば、この状況で誤って線路に転落する心配をしなかったのはうかつではあったが、そのときそんなことを思いつくほどの余裕はなかった。

 

 どちらにせよ、ホームドアには感謝すべき案件である。だれにか知らないが、この場を借りてお礼を申し上げる。

 

 話を戻そう。心配していたのはただひとつ、このあと急に倒れるかもしれない、ということだったので、そうなった場合のことを回らない頭で考えた。結論として、倒れた場合にだれかに見つけてもらえそうな柱にもたれかかって休むことにした。別の言いかたをすれば、もっとも不審者だと思ってもらいやすい場所で待機することにした、ということになる。

 

 とにかくそうこうしているうちに、だんだんと視界が色を取り戻した。ファストフード店の看板の淡い緑色が、治りつつある、という理解をもたらしてくれた。

 

 そしてすべては元通りになった。すべてが終わったとき、若干の頭痛と、徹夜明けの朝日を浴びたときのような興奮だけが、わたしのなかに残っていた。

 

 以上が、ことの顛末のすべてである。

 

 いまにして思うと、面白い経験だった。夢でも映画でもないのに自分の視界が色を失う、なんていうことが起こるとは想像したこともなかったし、かりに想像したことがあったとして、実際に体験するのとではわけが違う。脳というのは摩訶不思議なものだからそういう認知異常も起こしうるのだと言われればそれはそうなのだが、それはそうでは済ませられない新鮮さがあった。

 

 無事だからそんなことが言える、という考えかたは知っている。実際あのときのわたしは、これは異常事態だと朦朧とする意識の中で認識していた。医学的にはもしかすれば、とくに心配のいらない貧血かなにかだったのかもしれない。けれどわたしに医学の知識はないから、大病や死を覚悟するという判断をするというのは、客観的に見て不思議なことでも、神経質なことでもなかったはずだ。

 

 けれど同時に、あの状況を楽しんでいるわたしがいたことも否定できない。

 

 とにかくこの景色を目に焼き付けておかなければならない、とあのときわたしは思っていた。それも生半可な強さでではない。有名な観光地であればいくらでも行けるし、写真で思い出を補完することもできるが、この退色した光景は次いつ見られるか分からない。もしかすれば、一生見られないかもしれない。

 

 なにせこれは、わたしの脳がつくり出した幻。再現性などまったくない。

 

 わたしは目を見開いていた。すくなくとも、見開こうとしていた。もっとも、あの状況でどうにか気をたしかに持とうともがくのは普通のことかもしれない。しかしながら、異常の中にありながら、あの状況を全力で心にとどめようという意識が心のどこかにあったことを、わたしは否定できない。