意義の振り返り ④

研究に意義を求めることに対するすべての問題がただ単に、意義ということばの意味の取り違えによるものであるということにさえ気づいてしまえばそのあとは、もう本当に簡単であった。 意義を否定しようと躍起になっていたころのわたしは、この手の相互不理解…

意義の振り返り ③

研究の意義なるものをわたしが否定するとき、それは世の中でそう呼ばれるものと比較して、ずいぶんと狭い領域を指していた。意義なるものが本質的に持っている切り離しがたい主観性は、意義のあるとしていた範囲に明快な線引きを与えることを逃れがたく阻害…

意義の振り返り ②

研究の持っている意義というものに関する反発は、わたしにとってはもはや過去のものになった。その正体が、意義を理解できないということに対する心細さではけっしてなく、意義に共感してしまう日が来てしまうかもしれないという恐怖にもとづいたものだと分…

意義の振り返り

日記をはじめるという選択にわたしを衝き動かした理由のうちのひとつに、研究とその意義というテーマで書きたいことがあった、というのがある。いまはもうそれほど書きたくもないが、当時のわたしは書かずにはいられなかった。振り返ってみればあれは若さの…

節目の比較

あと一週間くらいで日記は終わる。 日記を終えるということについては、ここ三ヶ月ほどのあいだに数えきれない回数書いてきた。もちろんしょせん数十回だし記録も残っているから、数えようと思えば数えられるのだが、もちろん数える気はない。正直に言えば、…

卒業式 ②

思えば三年前にも、似たようなことを書いた気がする。 例のウイルスが流行をはじめて一年ほどが経った時期であった。いまとそう変わらないはずの脅威にみなが怯えていたあのころ、用もないのにわざわざ大学に通っていたやつなんてだれもいなかった。用がある…

卒業式 ①

卒業式があった。一応、行ってきた。 疲れた、というのが率直な感想である。べつになにか特別な面倒事が起こったわけでもないし、気を張り詰めていたわけでもないし、だれかの話が極端に長かったわけでもないが、ただ疲れた。昨日まで旅をしていたので、単に…

自分語り語り ①

自分語りが過ぎたようだ。日記をはじめたとき、なるべくそういうことはしないようにしようと決めていた覚えがあるのだが、耐えきれなかったようだ。 そう決めたのには理由がある。すくなくとも、あったと記憶している。もうすこし正確に言えば、ことばにすら…

宴会

長いこと、わたしは飲み会が嫌いだった。 具体的になんの回だったのかはもう忘れた。たぶんまだ大学に入る前だったはずだから、飲み会と呼ぶのは適切ではなかったかもしれない。わたしの時代はすでに未成年飲酒に厳しい時代であり、したがって店はきっと、若…

境界 ③

これは、実感がわかないということなのだろうか。 わたしはたしかにずっと学生だった。五分の一世紀のあいだ、途切れることなく学生であった。なにかを学ぶということは、すくなくとも建前の上で、わたしの本分であり続けていた。賃金の対価としてほかのなに…

境界 ②

もちろん、抱負などというものはない。 わたしは意識が低いです、というアピールではない。そういうふうな発言をしておけば、経営者を除く世間の全員からの薄くて広い信頼を得られるだろう、という打算でもない。わたしにないのはあくまで抱負そのものである…

境界 ①

今月が終わると、わたしの身には大きな変化が起こる。個人的な問題だから、わたし以外がその変化をこうむることはないだろうが、わたしには起こる。 わたしと同一のタイミングで類似の経験をするひとはたくさんいるだろう。それは多くの場合わたしの変化と原…

具体への回帰 ➄

数学的対象に限らず、興味を引いたものごとの性質をつい抽象化して考えようとしてしまう癖はもう、どうやってもなかなか抜けそうにはない。 この癖が結果なのか、それとも原因なのかには議論の余地がある。すなわち、日頃から数学に親しみ、数学をやっている…

具体への回帰 ④

数学に具体的なところから離れさせ、抽象的な概念を扱わせはじめるとき、数学者はきまってこういうことを言う。抽象を考えるのは、それがまた新たな、思いもよらない具体性への知見を与えてくれるからなのだ、と。 なるほど殊勝な心掛けである。ひとつの問題…

具体への回帰 ③

具体的なものから抽象的な性質を見抜き、それをまた具体に還元する。文章におけるそういう試みに魅力を覚えるのはもしかすると、わたしが数学の人間だからなのかもしれない。 すくなくとも、数学はそういうことを目指している。具体的ななにかに面白い性質を…

具体への回帰 ②

物語とはどこまで行っても、具体的な景色を描くものである。だからそのなかに抽象的ななにかを持ち込もうにも、それもまた具体的ななにかを経由して描かなければならない、ということになる。 とはいえ、案ずるより産むが安し、である。ことばで言うほど、具…

具体への回帰 ①

よき物語に共通するひとつの条件として、それがその話のなかだけにとどまらない普遍的ななにかを含んでいる、ということが挙げられる。なにかというのは本当にどんなものでもよく、たとえば社会風刺でも人生の教訓でも、あるいは人間という存在をこのように…

終わりのあと ③

日記をやめて、書くことが習慣でなくなったあとにまたなにかを書きたくなったら、わたしはたぶんここに戻ってくる。戻ってきて、本当に書きたいなにかを書く。 その日が来るかは分からない。けれどいまのところ、そう遠くないうちにわたしはまた、文章を書き…

終わりのあと ②

わたしがこの日記を終えたなら、この場所を更新するひとはいなくなる。わたしは徐々にここの存在を思い出さなくなっていき、どこかの会社がいつの日か特定の決断をしたとき、ほかのたくさんのものと一緒に消える。 だがここに四月以降、新たな一筆が加えられ…

終わりのあと ①

そういえば、日記をやめたあとのことについてまだ書いていなかった。つまり、やめたらここをどうするつもりなのか、ということである。 とりあえず、削除するつもりはない。せっかく書いたのだから、消し去ってしまうのはもったいない。残っていたところでな…

最後の時間 ⑧

そういう意味で三年前のわたしは、最高の仕事をしたとしかいいようがあるまい。 当時のわたしの思考回路をいま、完全に再現することはできない。三年も経てば記憶は薄れる。なぜ過去の自分が日記を書きはじめたのか、いまのわたしはことばでは理解しているが…

最後の時間 ⑦

就職して時間がなくなるから、わたしは日記をやめる。あえてこれまで口にしてこなかったことだが、同時にまぎれもない事実でもある。 正直に言って、日記は負担である。 書くことに慣れていなかった最初のころはもちろん、負荷はいまよりもはるかに大きかっ…

最後の時間 ⑥

忙しいという事実を、なにかをやらないことに対する万能の言い訳だと思っているやつがきらいだ。実際に忙しいのはそいつの勝手だが、やりたいんだけど忙しくてできないんだよね、とか適当なことを言って、こっちに引き下がることを強要してくるやつのことを…

最後の時間 ➄

書かなければ、と思いながら過ごす無益な時間をふくめることにすれば、わたしはこの日記に毎日、無視できない長さの時間を費やしている。 もちろんそれは無駄な時間である。それ、というのは特に、わたしがついさっきまで経験していた、書こう書こうと思いな…

最後の時間 ④

日記を書くのは簡単な作業である。最初のうちこそ負担に感じていたが、いまではもうそんなことはない。 簡単になったということがいいことなのかには議論の余地がある。あるが、いまさらそんな話をしても仕方がない。泣いても笑っても(とはいえ、泣くことも…

最後の時間 ③

今日も今日とてつづきを書く。なにも書くことがないということについて書くという、これまで数えきれないほど繰り返した行為で、あと三十回ほどしかないことが約束されている、貴重な執筆機会のうちの一回を埋める。 書くことを決めているわけではないが、書…

最後の時間 ②

とうの昔から、日記に書きたいことはない。けれどもう、テーマに困ることもほとんどない。あからさまな矛盾だが、それが事実なのだから信じるしかない。 どうすればそんなことが可能なのかという問いに、答えを出すのは簡単だ。わたしが普段やっていることを…

最後の時間 ①

日記をやめると決めたら、なんらかの心境の変化のようなものがあるかと思ったが、案外そうでもなかった。 あと一ヶ月である。あと一ヶ月、これを含めて三十二回を書けば、この日記は終わる。使い古されたせいであまり面白くはない考えかたによればそろそろ、…

同相 ➄

まるで万華鏡のように、世界が回転しはじめた。 両方の手がフライドチキンに触れた、その瞬間だった。吸い込まれるような感覚が両腕を伝って、男の全身を駆けた。あたたかくも冷え切った、やわらかな刺激がそれにつづく。身体が軽くなり、足が宙を掻き、つい…

同相 ④

フライドチキンを取ろうと郵便ポストに片腕を突っ込んだ男はいま、見ての通り非常に厳しい状態にあった。 ご存知の通り、ポストの投函口には金属の弁がある。それはなにかを差し込もうとするときには比較的スムーズに開くが、逆になにかを引き出そうとすると…