意義の振り返り ④

 研究に意義を求めることに対するすべての問題がただ単に、意義ということばの意味の取り違えによるものであるということにさえ気づいてしまえばそのあとは、もう本当に簡単であった。

 

 意義を否定しようと躍起になっていたころのわたしは、この手の相互不理解はつねに以下のように解決されるのだと信じていた。すなわち、研究に社会的意義を感じる人間とそうでない人間がなんらかの手段でやりあって、最終的に合意に至るか、どちらかがどちらかの態度を受け入れるということだ。それはつまり、どうしても分かり合えそうにないふたつの立場をむりやりにくっつけて、生々しい溶接痕の残った支離滅裂なキメラを作り出し、なおかつそれを永続的に、あるいはどちらかが滅びるまでのあいだじゅうずっと、維持するという無理難題である。

 

 そんなことはもちろん、真に平和的な話し合いだけでなし得るものではない。互いが互いのままであることを維持したまま、相互理解に至れるようなものではない。どうしても合意に至りたいのであれば、どう優しく見積もったところで、すくなくとも洗脳や拷問くらいのことが必要なようにわたしには見えていた。そして研究に意義を感じさせるための洗脳や拷問というものを想像するのは難しかった。精神的な強迫が解決する問題が世の中にあったとして、それはこの件のことではない。

 

 いまとなっては笑い話だが、当時は真剣であった。この相互不理解のうえにわたしは当時、ある種の洗脳と呼べるものの影を感じ取っていたのだ。それは非常に長期間にわたって行われ、見かけはいたって平和的だがひとの精神を確実に蝕み、最終的にそのひとの思考方法そのものを別の方向にねじ曲げてしまう。それが具体的にどんな手段によるものなのかは、てんで見当もつかない。そもそも行為者に明確な意図があるのかどうかさえも定かではない。だがとにかくそういう恐ろしく神秘的な抑圧の手段があって、それがひとびとの精神に見えない影を落としているという陰謀論を、そうでなければ説明がつかないという理由で、わたしは信じかけていた。

 

 だからその問題が単なる言葉づかいの問題でしかないと理解したときにわたしが感じたのは、なににもまして、影の存在を否定する理由ができたという単純な安心感であった。

 

 わたしが意義と呼ばないものをかれらは意義と呼んでいる。かれらが意義と呼んでいるものをなにか適当な名前で呼ぶことにさえすれば、わたしはかれらを恐れなくて済む。けっして不可能だとおもっていた幻、すなわち相互理解すら、もしかすると可能かもしれない。大げさだが、わたしが気づいたのはそういう性質のことだった。