2024-02-01から1ヶ月間の記事一覧

最後の時間 ①

日記をやめると決めたら、なんらかの心境の変化のようなものがあるかと思ったが、案外そうでもなかった。 あと一ヶ月である。あと一ヶ月、これを含めて三十二回を書けば、この日記は終わる。使い古されたせいであまり面白くはない考えかたによればそろそろ、…

同相 ➄

まるで万華鏡のように、世界が回転しはじめた。 両方の手がフライドチキンに触れた、その瞬間だった。吸い込まれるような感覚が両腕を伝って、男の全身を駆けた。あたたかくも冷え切った、やわらかな刺激がそれにつづく。身体が軽くなり、足が宙を掻き、つい…

同相 ④

フライドチキンを取ろうと郵便ポストに片腕を突っ込んだ男はいま、見ての通り非常に厳しい状態にあった。 ご存知の通り、ポストの投函口には金属の弁がある。それはなにかを差し込もうとするときには比較的スムーズに開くが、逆になにかを引き出そうとすると…

同相 ③

ふたたび歩き出そうと一歩足を踏み出したところで、男は自分がやらかしてしまったことの内容に気づいた。 かれに選択肢はなかった。選択肢があるのだと理解するだけの時間的余裕がなかった、と言うほうが、もしかすれば正確かもしれない。そしてかれは普段、…

同相 ②

キンキンに冷えた冬の朝だった。ひとりの痩せた男が、あちこちから羽根が飛び出している、もとは黒かったのであろうダウンジャケットのポケットに両手を深く突っ込んだまま、歩道沿いのコンビニの自動ドアをくぐった。 男の買うものは決まっていた。二日に一…

同相 ①

位相空間 A と B が同相であるとは、A から B への連続かつ全単射な写像であって、その逆写像もまた連続であるものが存在することを指す。そのときの写像を、とくに同相写像という。 位相空間論におけるこの定義は、一般的には次のように噛みくだいて説明さ…

技量判定 ②

だれかが自分自身について評価するとして、普段の自分の行動がその評価の対象になり得ないのであれば、そのひとはどうするべきか。もちろん、普段は取らない行動を取ってみるしかない。 わたしがわたしの文章の出来を判断する手段が、わたしがこの日記を書く…

技量判定 ①

書かないとやっていられないことがあるという以外に、日記を始めた理由はもうひとつあるのだった。 文章がうまくなりたい。うまくなるためには訓練が必要である、というたぶん間違ってはいないが確実に安直ではある発想にしたがい、わたしは日記を日課にした…

引退詐欺

日記を辞めるとはたしかに言った。だが、この日記を辞めると言ったわけではない。 こう書くと引退詐欺みたいだ。というか、そのものだ。長年作品を作り続けてきた続けてきた作家だとか映画監督だとかの一部が老後にやるあれだ。わたしはなにかを成したわけで…

辞める理由

この日記はあと四十日ほどで終わる。このことは定期的に宣言しておかねばなるまい。 なぜ終わるのかといえば理由はない。いや、理由と呼べるものはいくつかあるし、それを理路整然と説明することもできるのだが、そうする必要を感じていない。この場所はわた…

キャラクターの手動生成 ④

もうすこし悪いパターンも想像することができる。 指南記事を書くほうの身になって考えてみよう。かれらはなんらかの要請に応えるため、キャラクターをどうやって魅力的にするのか、ということについて書き始める。それはいわゆる How-to 記事であり、ひとに…

キャラクターの手動生成 ③

自分の設定した人物のことをよく理解するために、そのキャラクターの出てくる短い物語を書いてみるというのもいいのかもしれない。 ……という意見はなにもわたしが考えたものではなく、そこらへんに散らばっている小説の書きかたの指南記事を眺めると、けっこ…

キャラクターの手動生成 ②

キャラクターを作るという活動は、非常に自由なものである。そしてその自由は、あらゆるものが許容されてしまうがゆえに、じゅうぶんに扱い切れる気がしない自由である。 すくなくとも、わたしには扱えない。そもそも、なにから始めればいいのか分からない。…

キャラクターの手動生成 ①

昨日までの物語に続きはない。すくなくともわたしの頭の中にはないし、わたしが考えていないということは、とりあえずこの世にはない。 どうしてあんなものを書き始めたのかと言えば、深い理由はない。主人公が謎のこだわりを示す人物だということが、とくに…

鳥居 ➄

約束の時間まで、あと六分だった。 集合場所は、橋の向こうの交差点を左に折れてすぐ。郊外の二級河川にかかる橋だから、二十秒もあれば余裕で渡れる。権田はいま橋の逆側のたもとにおり、これが正しい橋であることを確信している。 つまり一般的な見地から…

鳥居 ④

権田がその偏執的なこだわりを発揮する場所は、なにも神社だけではなかった。 たとえば、スーパーマーケット。基本的なスーパーの動線は、建物の隅にある入り口から入って、そのまま野菜売り場、魚売り場、肉売り場と通過し、最後にレジで会計をして帰るよう…

鳥居 ③

小さいころから、権田のこだわりは強かった。 家族で初詣に出かけたときのことだった。正月一日の昼下がり、地元で有名な神社は参拝客でごった返しており、本殿へと至る列は鳥居を超えて、左右に店の立ち並ぶ参道まで長々と伸びていた。 昔の街並みを保存し…

鳥居 ②

神社に入るのに、鳥居をくぐらない。その矛盾する現象には建築学と都市工学と慣習と、それから暗黙の諒解とも言える妥協とが絡み合った、きわめて複雑な問題が根を張っている。 具体的に言えば、道路とみなされる部分と鳥居の内側とみなされる部分はかならず…

鳥居 ①

鳥居をくぐらずに神社に入ることがある。 くぐることもある。というか、たいていの場合はくぐる。神社というものは普通、入口に鳥居を設けているものであり、普通に入口から訪問するなら、ちょうど一回鳥居をくぐる。 入口以外から入るなら鳥居は通らない。…

自動化 ⑭

未来のある時期、文明なるものがすべて滅びてだいぶ経ったあとにまだ人間が生きていて、廃墟かなにかの中でまだしぶとく生きているとする。その廃墟はどうしてかまだ動き続けており、その目的や機構はもはや忘れ去られて久しいものの、とにもかくにも、動い…

自動化 ⑬

核戦争でも巨大隕石でもゾンビパニックでも、原因はなんでもかまわないがとにかく、こんにちの文明が滅亡したとしよう。そしてその世界にわずかに残った人間が、ひとりもしくは少人数で、ひっそりと生きていたとしよう。 まずかれらは身の安全を確保する。つ…

自動化 ⑫

人類は農業を発明するまでに、その歴史のほとんどすべての時間を費やした。 火を発明するまでにもだいたい同じくらいの時間を費やした。火を作り出せるようになってから農業を発明するまでの時間は、かろうじて文明と呼べる文明が成立してから現代にいたるま…

自動化 ⑪

ポストアポカリプスの世界にかりに常識というものがあるならば、それは現代の常識とはかけ離れたものになるだろう。そして現代のわたしたちにはきっと、その新時代の常識を理解できないだろう。 崩壊した世界の人間としてわたしたちが理解する人間像は、現代…

自動化 ⑩

古代文明は滅び、その遺構だけが残されている。 その機構をつくり出した知的生物群はおそらく、自身の力だけで永久に動き続けるようにそれを設計したのだろう。あるいは耐用年数を伸ばしていく過程でいつしか、むしろ永久に続くようにしてしまったほうが技術…

自動化 ⑨

前回は、完全に自動化された世界とはどんなものなのかについて、その必要条件と十分条件を与えることを通じて語ってきた。昨日のわたしの言うところによると、つまりそれは、働かなくていい世界と自由意志のない世界のあいだのどこかにあるそうだ。言われる…

自動化 ⑧

次は上からだ。これが実現されていればさすがに、世界は完全に自動になったということにしてだれも文句は言わないだろう、というラインを設定しよう。できればそれが「文句を言うひとを全員消滅させる」という方法以外であれば、なおよい。 とりあえず、自由…

自動化 ⑦

社会の完全な自動化ということについていろいろと語っておきながら、わたしはこれまで、完全なる自動化とはどのような状態なのか、はっきりと定義していなかった。 明確な定義を与えなくても議論が進む、というのは、このようなあいまいな議題の良い点である…

自動化 ⑥

という感じで、社会の完全な自動化を実現するうえでの技術的障壁についていろいろと書いてきたわけだが、ここまででひとつ、完全に目を背けてきたことがある。 それは障壁のひとつと呼べる。その障壁は、完全に技術的なものだと言い切るのには無理があるとし…

自動化 ➄

世界を完全に自動化するために超えるべき一番の障壁がなんなのか、という問いは簡単なようで、考えてみると意外と答えに窮する。現代科学の立ち位置を鑑みるにたしかに障壁なら山ほどあるのだが、そのうちのどれが一番クリティカルなのかと聞かれれば、正直…