自動化 ④

 自動化された世界とはつまり、人間が生活に必要とする物資あるいは文化を、人間による助力なしに作ることのできる機械あるいはシステムの存在する世界のことである。

 

 そういう世界でよく問われるのが、そこに人間の役割はあるのか、ということだ。世界を回していくうえで人間が必要でないというのが自動化の定義だから、最低限度の(といっても現在のわたしたちのものよりはるかに恵まれた)生活を送るという目的のもとでは人間は不要である、というのが、おそらくわたしたちの共通理解である。

 

 実際に人間が不要である様子は、ディストピアもののフィクションのなかでよく描かれている。

 

 そこでは過去に偉大な文明があり、作中の時点ではすでに動作原理は分からなくなっているものの、とにかく世界のすべてを自動化した過去がある。そのシステムを維持するうえで欠かすことのできない自己メンテナンス機構のおかげで自動機械たちは、人類のあらかた滅亡した現在においてもなお、人類の生活に必要な物資を生産し続けている。その大半は、なにに使うのかもよく分からないものである。

 

 これを踏まえれば、そこに人間の役割があるのか、という問いに対する答えはこうなる。すべてが無意味に生産され続けるその世界を見てあなたは、それが健全に発展した世界だと理解しますか、ということである。

 

 つまり、おきまりの答えがこれである。人間はシステムに関与はしないが、システムに存在意義を与えている、というわけだ。

 

 逆にはこうも言える。社会を完全に自動化するとは、社会機能全体が、人間が存在しなくなったあとでも維持されてしまうということである。それはある意味、人類があらたにつくりだした、完全にサステナブルな生態系である、と言うことができる。

 

 構成要素の生物と無生物の違いを除いて、それは人類文明の後継とさえいえる。

 

 目的を失ってなお粛々と動き続けるそんなゾンビのようなシステムに、わたしたちのあとを継いで欲しくないと考えるのは人情だろう。それはまさしく人類の叡智の結晶であり、人類の成功の永遠に残る証明であり、種としてのホモ・サピエンスの遺伝子配列そのものよりもよほど人類の成り立ちをよく表している仕組みなわけだが、それでも気持ち悪いものは気持ち悪い。

 

 そう考えるひとが多いから、そのポストアポカリプスはディストピアとして扱われる。苔むして草に埋もれ、鳥獣の棲家となったコンクリートの建物群より、人類滅亡後も変わらず動き続ける巨大なシステムのほうに、ひとびとはむしろ恐怖を感じる。