可能性の話 ⑦

 例の大規模言語モデルを、最初に作ったひとたちがいた。

 

 最初に作らなかったひとのなかで、それを作るだけの知識と能力のあるひとは、かれらに追随しようと試みた。それは革命的な技術に感銘を受けたときにとる行動として、考えうるかぎりもっとも生産的なものである。本命に対抗するモデルを作り出し、競争の中で科学技術を発展させる。技術者としてそれはもっとも健全な姿のひとつである。

 

 あいにくそうできるひとは多くなかった。多くないということは考えるまでもなく分かった。その理由は、最初のモデルについて書いた論文を読むだけの知識のあるひとが少ないからという以上に、金銭的な問題であった。あの規模の学習を行うだけの計算資源を用意できるのは、どう考えても巨大企業だけだったから。

 

 そしてその巨大企業もいま、成功を収めているとはいいがたい。だからこの、技術に対してもっとも真摯だと思われたやりかたは、あまり良い方針ではなかった。

 

 同じものを作るだけの力のないひとびとは、モデルの使いかたを考えた。さまざまな派生サービスがあらわれ、それほど流行しないままに消えていった。いや、あらわれ続けているし消え続けている、と言ったほうがいいか。とにかくこの方針もまたほとんど上手くいかなかった、ということは、これまでさんざん述べてきたとおりである。

 

 それを考える気力もないひとびとは、哲学に走った。

 

 今回の場合、哲学はふたつに大別されるようにわたしは思う。ひとつは未来予想であり、言語モデルの発展した姿が世の中にいかなる影響を及ぼすか、ということを考える分野である。雑な言いかたをすれば、現実世界を題材にしたサイエンス・フィクションをかれらは作ろうとしたわけだ。それらは必ずしもフィクションとして面白いわけではないが、ノンフィクションであるという立場に立ってみれば、それなりに面白いものであった。

 

 もうひとつはより小さな分野であり、より哲学らしい哲学である。言語モデルというものがわたしたちの社会や認知機能のどういう側面を浮き彫りにするのか、ということを考えたひとたちがいた。言語を使うとはどういうことか。ものごとを理解するとはどういうことか。言語モデルはことばを理解していると言えるのか。やつらに人格はあるのか。こちらもまたサイエンス・フィクションではたびたび問われてきた題材であったものの、やはりノンフィクションなので面白かった。

 

 そしてわたしはあの時期、その後者の哲学に没頭していた記憶がある。日記に書いているからおそらく、記録にも残っている。当時のわたしがどんなことを考えていたのか、いまとなっては忘れてしまった。きっとそれは、あのころの期待の多くがしりすぼみになっていったように、いまとなっては取るに足らないことなのだろう。