自動化 ①

 都市機能を完全に自動で執りおこなうシステムというものは、未来世界のロールモデルとしておそらく、この世で一番頻繁に考察されている世界観である。

 

 考えうるかぎり一番安直な世界観である、と言ってもいいかもしれない。というのも、産業革命以降の人類の技術史にいちばんそれらしい方向性のストーリーを与えるならばそれは、社会機能をひとつひとつ機械化していくという物語になるからだ。

 

 機織りの大部分を機械化した紡績機にはじまり、人類は重工業を、移動を、食料生産の一部を、通信を、その他たくさんの手間のかかる作業を、機械の手に任せていった。その手の領域において一般のひとびとは、手を動かさずとも目的のものが手に入るようになった。現代では翻訳や言語機能が自動化の対象になっている。この流れが続けばきっといずれありとあらゆることが機械の手に任されるようになり、人類はまったく働かなくてよくなるのだ、と考えるのは、成り行き上至極自然なことである。

 

 そしてわたしたちの興味はもっぱら、そのような究極の世界が果たしてほんとうに訪れうるのかどうか、ということに向けられつづけてきた。

 

 楽観論者たちはイエスと答えた。一番のボトルネックは食料生産であり、そこさえ自動化できれば人類はなにもせずとも生きていける、というわけだ。そのためにはロボット工学の発展が必要だがそれは手の届く範囲のことであり、人類は着実に、究極形に近づいていると、わたしの脳内にいるかれらは考えている。

 

 慎重論者たちは答えを渋った。人類はたしかにたくさんのものごとを自動化しているが、仕事は減るのではなくむしろ増えている。だからかりにいまわたしたちがやっている仕事のすべてを機械化したところで、それは文明が人類の英知を必要としなくなった、ということを意味するわけではない。そのころにはきっと、現代には存在しないような新たな仕事が出現し、人類はそこに手を煩わせている、と、やはりわたしの脳内のかれらは考える。

 

 悲観論者たちはノーと答えた。たしかに人類はそのような都市を作る可能性を秘めているかもしれないがそうなる前に滅びる、というのがかれらの主張だ。戦争だか環境問題だか知らないがとにかく、人類は一度持った力を制御できない。人類文明の革命には持続可能性がないから、きっと長続きなどしない、と、脳内でかれらは言う。

 

 そして脳内にいるだれも、人類がいまある仕事のすべてを機械に任せることができるようになる、という考えを否定することはなかった。