同相 ②

 キンキンに冷えた冬の朝だった。ひとりの痩せた男が、あちこちから羽根が飛び出している、もとは黒かったのであろうダウンジャケットのポケットに両手を深く突っ込んだまま、歩道沿いのコンビニの自動ドアをくぐった。

 

 男の買うものは決まっていた。二日に一本のペットボトルのお茶、そして明太子のおにぎり。ほかの商品には目もくれずに男は、外を歩いていたときの縮こまった体勢のまま奥の商品棚に向かうと、無造作にポケットから右手を出して目的の品をつかむ。男はそのまままっすぐにレジに向かい、右手だけで会計を済ませようとした。

 

 と、そのときだった。

 

 その他ほとんどのものと同じくただの背景だと認識していた場所に、かれはなにやら本能的に惹かれるものを見た。この寒い日でなければ間違いなく見逃していたであろうそれを。それがかれと、ほんの数十秒後に別れを告げることになる、あのフライドチキンとの出会いであった。

 

 幻想と現実とが溶け合うこの冬の朝、いつものように意識を半分飛ばしながらレジを打っていたフィリピン人店員は、まるで居眠り中に呼びかけられた中学生のように、急に目を見開いた。見開いて、母国語でなにやらつぶやいた。それくらいそれは衝撃的なできごとであった。

 

 それは単に、いつもきまって同じものを買うこの不審な常連客が、いつもはけっして頼まないチキンを頼んだからというだけではなかった。日本に来て一年半のあいだここのレジに立ち続けていながら彼女は、これまでこの客の声を聞いたことがなかったのだ。

 

 このできごとが彼女に与えた印象の大きさについて、ここでは語るまい。このシーンは三年後に祖国に帰った彼女にとって、どうしてだか分からないが頭に焼き付いて離れない日本でのひとコマとなるわけだが、そんなことは男には関係がない。したがって彼女がそこからどのような理解や教訓や感動や思い出を獲得しようが、この物語にはやはり、まったく関係のあることではない。

 

 とにかく男は、かれ自身にすらよく分からない衝動によってその日、税込み二百十円のフライドチキンをコンビニで購入した。ポケットに手を入れなおすのも忘れ、紙の袋を通して間接的に伝わる、幸福そのものと呼んでも差し支えのないそのあたたかみを愉しんだ。しあわせのかたちをその手と指と脳で、全力で実感しながら勤務先に向かった。

 

 そしてその現世の幸福をかれは、ほとんど無意識的に、コンビニを過ぎてすぐのところにある、道端のポストへと放り込んだ。