鳥居 ②

 神社に入るのに、鳥居をくぐらない。その矛盾する現象には建築学と都市工学と慣習と、それから暗黙の諒解とも言える妥協とが絡み合った、きわめて複雑な問題が根を張っている。

 

 具体的に言えば、道路とみなされる部分と鳥居の内側とみなされる部分はかならずしも一致していない、という問題である。

 

 鳥居を支える二本の柱は、道路の端にあるわけではない。端のほうにはあるが、そこは厳密な端ではなく、そのあいだにはひとが並んで通れるくらいの隙間があることが多い。そこを通れば、正規の参道から神社に入ったにもかかわらず、鳥居はくぐっていない、ということになる。

 

 ときにはもっと大胆なケースがある。世の中にはやたらと巨大な鳥居があって、それはいわゆる歩行者用の道路ではなく、車道をまたいで鎮座していることがある。

 

 車道は場合によっては片側二車線ほどもあることがあり、そういうのをすっぽりと覆い尽くす鳥居とはたいそう威容あるもので、くぐるときにはなんだか、神妙なことを考えずにはいられない。いったいどこのだれがいつなんのために建てたのか、鳥居ができたのと道が舗装されたののどちらが先なのか、などなど疑問は尽きないが、明確なのは、その鳥居がとてつもなく大きいということ。

 

 そして、それは車道だけをまたいでいるから、歩道を歩いている限り、けっしてくぐることのできない鳥居であるということである。

 

 もっとも、鳥居の下を通れないということではない。鳥居の形を思い出せばわかることだが、その構造物には左右の柱の横に張り出した梁がある。片側二車線をまたぐような巨大な鳥居なら、その張り出した部分はきっと、歩道に影を落としていることだろう。だがその下を通ったところで、鳥居をくぐったことにはならない。ラグビーのゴールとは違うのである。

 

 というわけで、世の中には、びゅんびゅんと車の行きかう大通りに足を踏み出さない限りけっして、鳥居を通って参拝することのできない神社というものが存在する。

 

 権田はそういうことを気にする男であった。

 

 境内に入るときに鳥居をくぐることは、かれにとって必須の儀式であった。境内とは鳥居の中のことであって、それ以外の方法で入ったところは、かれにとっては神社とは呼べなかった。帰るときも同様で、きちんと鳥居の下をくぐらない限りは、魂が神社に取り残されてしまう、と思っているとしか解釈のしようのない考えに、偏執病のようにとらわれているのだった。