キャラクターの手動生成 ③

 自分の設定した人物のことをよく理解するために、そのキャラクターの出てくる短い物語を書いてみるというのもいいのかもしれない。

 

 ……という意見はなにもわたしが考えたものではなく、そこらへんに散らばっている小説の書きかたの指南記事を眺めると、けっこうな割合で書いてあることだ。もちろんわたしもそれには同意するところである。そうしないと書けそうにないし、そうすれば結構、キャラクターの癖が理解できるような気がするからだ。

 

 ならばそうすればいい。素人がなにかに挑戦するとき、ひとの話を聞かずに自分の考えだけで突き進むのは危険だし、だれかの言うことを鵜呑みにして考えなしに実行に移すのもまた無意味な行為だが、そのふたつが一致しているなら話は別である。キャラクターを作成するのに、わたしに合ったやりかたはこれである。それ以外にどう結論付けることができるだろうか?

 

 問題は、わたしの見た記事のほとんどすべての中で、そのやりかたを紹介する部分はいつもなんだかすごく、歯切れが悪い、ということである。

 

 短い物語を書いてみるといい、と断言しているひとはいない。だいたい、「いいかもしれない」というふうな留保がついている。そしてその筆者はほかのもっと普通の方法を推奨している――すなわち、キャラクターの設定シートを作り、年齢性別容姿その他のプロフィールを設定したあと、ありとあらゆる細かいことがらについて逐一、そのひとの性格や過去の出来事にもとづいて説明できるように頑張る、というものだ。その最後で、推薦者はこう付け加える。「どうしても難しかったら、物語でも書いてみればわかるのかもしれないね」、と。

 

 この「かもしれない」が含んでいるニュアンスをわたしは、いまいちはかりかねる。

 

「かもしれない」というからにはきっと、筆者はやったことがないのだろう。それはわたしにも分かる。やったことがない方法をだれかに薦めるなら、そこで起こる予期せぬ事象に対する責任から言い逃れるすべを用意しておかねばならない。それが「かもしれない」の意味であり、わたしもよく使う逃げかたである。

 

 だがそんなことはどうでもいい。わたしが気になるのは、なぜ筆者がその方法をいいかもしれないと思いながらそれをやったことがないのか、ということである。

 

 もっとも楽観的にはこういうことになる。キャラクターの設定なんてものは簡単である。ただ適当に枠を埋めればできることにどうして、物語を書くなんていう大変な作業が必要なのか分からないと筆者は思っている。あるいは、物語をわざわざ書かなければ人物をイメージできない種類の人間が存在するとはあまり思っていない。

 

 これが正しければわたしは馬鹿だということになる。けれど一応、物語を書くということが有効な手段である、という可能性は、まだ残されているわけだ。