自動化 ⑫

 人類は農業を発明するまでに、その歴史のほとんどすべての時間を費やした。

 

 火を発明するまでにもだいたい同じくらいの時間を費やした。火を作り出せるようになってから農業を発明するまでの時間は、かろうじて文明と呼べる文明が成立してから現代にいたるまでの時間などとは比べ物にならないほど長いが、それでも人類史の全体で見れば短い時間だ。種の歴史のほとんどすべての時間において、火とはあくまで、ときおり偶発的に発生する災害であった。

 

 文明を興すというのはかように難しいことであった。純粋にかかった時間だけを見れば、火を使うことを思いついたり農業をはじめたりというのは、産業革命を起こして紡績機やら鉄道やら飛行機やらインターネットやらを生み出すことよりはるかに起こしにくい奇跡であった。もしかすれば今日の文明の発展は、調理や暖房のために火を使うということを発明した時点ですでに約束されていたのかもしれない。そのことこそが、種が文明を築き上げるために乗り越える必要のある、最初にして最大の障壁だったのかもしれない。

 

 だが現代人としてその構図を見ると、分からないことがある。火も農業も思いつかないなんて、なぜそんなことが起こるのか、だ。

 

 火という概念を古代人が知らなかったわけはあるまい。時たま起こる山火事は、近づくと非常に熱いものだということをきっとかれらは知っていただろう。知っていたのならなぜそれを、暖をとるために利用するという発想に至らなかったのか。もちろん最終的には至ったわけだが、どうしてもっとはやくそのことを思いつかなかったのか。

 

 農業に至ってはもっと不思議だ。狩猟採集民であった古代人は、生き延びるためにわざわざ木の実を集めていた。ならばどうして、その木を自力で育てるという発想に至らなかったのか。わざわざ山に分け入ることなしに食料を確保できるという可能性に、どうして長いあいだ気づかなかったのか。

 

 たしかにかれらには教育がなかった。だが発明とは一部の天才としかるべき偶然によってなされるものである。そして人類が火を持たなかった時間はあまりに長く、だから天才の生まれる余地も、偶然が発生するだけの時間もじゅうぶんにあった。それなのになぜ、そんなことも思いつけなかったのか。

 

 その問いに答えるつもりはない。すくなくとも現代人のだれかがその時代に行けば、火も農業も生み出せるだろうが、そんなことはどうでもいい。思いつけなかったものは思いつけなかったのだ。それは歴史の一ページとして、ただ受け入れるしかない。

 

 ここで語りたいのは、現代人というものが、洞窟に集団で暮らしながら火も農業も思いつけない人間の考えることをまるきり理解できない、ということについてである。