同相 ①

 位相空間 A と B が同相であるとは、A から B への連続かつ全単射写像であって、その逆写像もまた連続であるものが存在することを指す。そのときの写像を、とくに同相写像という。

 

 位相空間論におけるこの定義は、一般的には次のように噛みくだいて説明されることが多い。 A と B が同相であるとは、ぐにゃぐにゃと柔らかく動く素材で作られた物体 A をぐにゃぐにゃと連続的に変形させることで、どうにかして B をつくることができるということである。

 

 コーヒーカップとドーナツが同じ形だ、と言えば、聞き覚えのあるひとは多いのではなかろうか。ぐにゃぐにゃの素材でつくったコーヒーカップをうまいこと変形すれば、取っ手の穴の部分をそのまま穴にするかたちで、ドーナツの形が出来上がる。

 

 それほどまでぐにゃぐにゃのコーヒーカップなどなんの役にも立たないではないか、という現実的な問題はもちろん、数学者の気にするところではない。役に立たないのは数学者も同じだからである。

 

 というふうに厳密かつ実用性皆無なかたちで参照されるこの位相空間論の用語だが、数学にかかわる人間のあいだではときおり、よりフランクなかたちで用いられることがある。ここでいうフランクとは要するに、あまり数学的に厳密とはいえない、日常的なものごとを表現するのにもまた使われる、という意味である。

 

 辞書的に言えば、こうだ。

 

【同相】それらのあいだに同相写像の存在する、ふたつの位相空間の関係。転じて、ふたつの物体が似たような形状を持っていること。

 

 もちろんこの用法は一般には通じない。というかそもそも、同相という単語の存在が知られていない。数学的素養を共有しない相手にこういう話しかたをすれば、「同窓会でもあったの?」とか聞かれるのが関の山である。

 

 そのまま流してくれない相手には、伝わらない数学の定義の話をひとしきりしようとして失敗したあと、厳密な話を諦めて「コーヒーカップとドーナツが同じかたちだ、っていう考えかたがあって〜」とか言い出す羽目になり、こいつはなにを言っているんだ、という目で見られておしまいである。だからこういう業界用語を使うときは、ちゃんと相手を選んでやらなければならない。

 

 とはいえこの文章の読者には、もともとの数学的バックグラウンドのあるなしにかかわらず、もうそういう話しかたをしても問題はあるまい。この文章を読んだことで、この全部、あるいは冒頭の一段落を除いた全部を理解したことが期待されるからである。

 

 前置きが長くなった。本題に入ろう。それは取るに足らない類似性だが、この物語の主人公が、この物語で描かれるような状況に陥った大元の理由である、ひとつの認知的誤謬の原因となる性質でもある。

 

 つまり。コンビニのフライドチキンは、レターパックと同相である。