自動化 ⑩

 古代文明は滅び、その遺構だけが残されている。

 

 その機構をつくり出した知的生物群はおそらく、自身の力だけで永久に動き続けるようにそれを設計したのだろう。あるいは耐用年数を伸ばしていく過程でいつしか、むしろ永久に続くようにしてしまったほうが技術的合理性が高くなるような、一種の転換点を迎えてしまったのかもしれない。とにかくいま言えることは、その機構にもはや主がいないことと、そしてそれにもかかわらずまだしっかりと動いているということの、たったふたつだけである。

 

 こういう世界観は、あらゆる分野のフィクションの世界にあらわれる。そういうものをあまりにたくさん見てきたせいかわたしたちは、文明崩壊後の世界とはそういうものなのだ、ポストアポカリプスの人類は過去のわけのわからない機構に圧倒される運命なのだ、という認識を、なんとはなしに持っている。

 

 もちろんわたしたちは、そんな世界を実際に経験してはいない。高度な文明はまだ滅びたことがない。けれど多くのフィクションが語っている未来とは、未来を実際に見ることのできないわたしたちにとって、ほとんど真実の未来と言っていい代物である。

 

 そしてそういう未来において、目の前にあるレガシーとは基本的に、まともに相手にするにはあまりにも高度すぎるか、あるいは置かれている文脈があまりに複雑すぎるがゆえに、まったく理解不能な相手である。

 

 正確に言えば、理解不能でなければならない。そうでなければ、終末後という雰囲気にはならないから。そうでなければ、古代文明の遺骸など持ち出す必要はない。主人公に理解できる相手なのであれば、それは失われた古代文明などというノスタルジックなものではなく、単にその時代の科学技術の、礎のひとつにすぎない。

 

 この話をするうえで避けては通れない前提がある。

 

 未来の世界についてわたしたちは語る。それは現代が健全に発展した姿かもしれないし、発展に失敗して退化した姿かもしれないし、あるいは存在というものの次元を大幅に転換した姿かもしれない。それはどれでもいい。だがそれらをいくらたくみに想像したところで、その世界についての話を聞くのはわたしたち自身、この時代の人間だけである。答え合わせは、原理上できない。

 

 だからわたしたちは、未来というものに対してへんてこな認識をする。つまり、未来世界がどんなに突拍子もないものであっても、そこに住む人間がわたしたちにとって理解可能な対象であることを暗黙の裡に仮定している。