鳥居 ③

 小さいころから、権田のこだわりは強かった。

 

 家族で初詣に出かけたときのことだった。正月一日の昼下がり、地元で有名な神社は参拝客でごった返しており、本殿へと至る列は鳥居を超えて、左右に店の立ち並ぶ参道まで長々と伸びていた。

 

 昔の街並みを保存してあるその参道は狭く、普段ならばひとがすれ違えないほどではないにせよ、正月気分で周りの見えていない参拝客が無造作に広がって並んでいるその状況では、そうもいかなかった。

 

 もちろん神社側もその問題は熟知していた。大みそかのうちに準備していたのだろう、鳥居の前にでかでかと横断幕を張って、混雑緩和のための仕組みの周知をうながしていた。つまり、この参道は今日は一方通行であるから、帰るときは本殿をぐるりと回ったところにある裏口から出るように、というわけである。

 

 幼い権田にとって、これは大問題だった。

 

 裏口には鳥居がない。つまり、神社から出るとき、鳥居をくぐることができない。権田はそのときまだ七歳だったが、そのことはしっかりと理解していた。そして七歳児の知能を総動員して、ひとつの結論を導き出した。

 

 鳥居をくぐってここを出ることができないのであれば、かれは神社から出たことにならない。つまり境内に取り残されてしまう。それを避けるためには、かれは絶対、境内に入ってはならない。

 

 すなわち、鳥居をくぐってはならない。

 

 幸いなことにこの試みは成功した。列が進み、鳥居をくぐる段になったさい、権田の母は自分の息子が一度列から離れ、鳥居の外側をぐるりと迂回して戻ってきたのに気づいたが、それくらいの年齢の子供によくみられるへそまがりで無駄な動きのひとつにすぎないとして、とくに気には留めなかった。父は単に、息子の行動を見ていなかった。若干七歳の権田がそのような深遠な理屈にもとづいて行動していた、という事実に、ついに気づくものはなかった。

 

 だが問題はここからであった。

 

 権田の理解では、そこは神社ではなかった。鳥居をくぐっていないのだからあたりまえだ。神社の中にいないのだからこれは参拝ではないし、したがってこれは初詣ではない。つまりここは神様にお願い事をする場ではないし、おみくじを引く場でも、絵馬を吊るす場でもない。

 

 その後につづくあらゆる儀式への参加を、かれは拒否した。両親がどれほどなだめても、賽銭を投げ入れもしなければ、神前に手を合わせることもなかった。どれほどお守りを買い与えようとしても、けっして首を縦には振らなかった。

 

 両親は困り果て、結局は折れた。そしてその原因がまさか、参拝が一方通行になっていることにあるなどとは、だれも思いもしなかった。