同相 ④

 フライドチキンを取ろうと郵便ポストに片腕を突っ込んだ男はいま、見ての通り非常に厳しい状態にあった。

 

 ご存知の通り、ポストの投函口には金属の弁がある。それはなにかを差し込もうとするときには比較的スムーズに開くが、逆になにかを引き出そうとすると、口を閉じる方向に力がかかる。人間の消化器官をはじめとしたあらゆる場所に基礎的に見られる、基礎的な力学的構造である。

 

 その本来の存在理由は、投函した手紙が外から見えないようにすることなのかもしれない。すくなくとも、入れた腕を引っかけることで手紙泥棒を捕まえるための罠、というわけではないだろう。しかしながらいまのかれにとって、この構造はまさしく、かれの脱出を妨げるための逆流防止弁として機能していた。

 

 尊厳は問題ではなかった。通行人はかれを一瞥し、ときおりしばらく立ち止まって不思議そうに眺め、ときにはスマートフォンを出してこっそりと写真を撮りさえしたが、どうでもよかった。かれらが送ってくる冷ややかな視線をかれはまったく気にしなかった。かれはそもそもひとからの見られかたを必要以上に気にしない人間だったし、このときはもちろん、それ以上に重大な問題があった。

 

 ポストの中も外も、凍える外気に包まれている。このままでは凍死する。

 

 男はパニック状態だった。ポストにチキンを投函し、たかだか二百十円のそれを取り出すために生命のリスクを冒すほど、かれは無計画な馬鹿であった。そういう危険な行為を後先考えずに敢行してしまうせいで自覚なく状況を悪化させていってしまうというのが、かれ自身だけが知っている、その男の知られざる一面であった。

 

 とはいえかれは、腕が抜けない理由を理解できないほどには馬鹿ではなかった。空回りする頭で男は考え、ほどなくしてひとつの結論に至った。

 

 逆流防止弁を腕が逆流するのは不可能である。つまり、右腕をこのまま引き抜くのは不可能だ。したがってフライドチキンを救出するには、空いている左手でそれを握っている状態を作りださねばならない。

 

 ならばどうやってそれを作り出すか。答えは決まっている。

 

 男は膝と背中をくねらせながら、目線をポストの高さに合わせた。人体のバランスに反する姿勢に関節が悲鳴を上げたが、男はつとめてそれを無視した。

 

 ポストというドーナツの穴の出口、すなわち速達郵便用の投函口を、かれははっきりと見定めた。一度深呼吸をして、金属の構造に逆らわれることのない方向から、ポストの中の右手に握られたフライドチキンを目指し、かれは問題の左手を、威勢よくまっすぐに突っ込んだ。