鳥居 ④

 権田がその偏執的なこだわりを発揮する場所は、なにも神社だけではなかった。

 

 たとえば、スーパーマーケット。基本的なスーパーの動線は、建物の隅にある入り口から入って、そのまま野菜売り場、魚売り場、肉売り場と通過し、最後にレジで会計をして帰るようになっているが、かれにはそれが我慢ならなかった。もちろん、入口と出口が別だからである。

 

 両親の買い物にかれはついていきたがらなかった。行きたがらない真の理由に気づくほど勘の鋭くなかった両親は、渋々連れてこられた息子が、カートを戻すという名目で想像とはまったく違う方向へと駆けていくのに気づいていなかった。だからかれは頻繁にはぐれた。両親はかれを見つけだそうとしたが、探したのはカートの戻し場所の近くであって、入口のカート置き場ではなかった。

 

 バスなんかは問題外であった。車体の中央のドアから乗り込むように、ということを運転手を含めたまわりのあらゆる人間がかれに忠告していたが、かれはもちろん、頑として聞かなかった。いくら指示されても、全員が前のドアから降りるのを律儀に待って、かれは前から乗り込んだ。

 

 もっともこの行動は、かれがそのこだわりに見合った強力な正義感の持ち主であるということの証拠でもある。第一に、かれが中央のドアから乗って中央のドアから降りるという行為についに走らなかったのは、かれが無賃乗車を絶対によしとしない性格だったからである。第二に、どのような場合でも乗り物に乗り込むのは降りるひとが全員降りてからである、という立場をかれは断固として採用していた。かれの理屈によれば、かれが前から乗り込む理由のひとつは、後ろの扉から乗り込んでいてはいつ全員が降りたのか分からないから、というわけである。

 

 このように、権田は異常な律義さを貫き通して育ってきた。小学校の学芸会では、役決めの前に台本を読み込み、上手から入ったなら上手から、下手から入ったなら下手から退場する、という基準で、希望する役を選んでいた。そもそもそのような状況になること自体がまれであったが、高校生のころ、学校に遅刻しそうになっても、けっして裏門から登校するということはしなかった。その門は放課後になると、閉まっていることがあったためである。

 

 そしていま、権田はひとつの重大な決断を迫られていた。それはかれが人生で貫き通してきた行動規範を、そっくりひっくり返してしまうかどうか、という問題だった。

 

 目の前にある橋を、おれは果たして渡っていいものかどうか。目的地を目の前に、かれはその橋のたもとで、逡巡に逡巡を重ねていた。