会話文の分析 ②

きのうまでの三日間にわたって、わたしはひとつの短編を書いた。主人公は、暗殺者の女性。彼女はきわめて優秀で、そしてきわめて冷徹だ。ターゲットの命どころか、自分の命にすらいっさいの価値を覚えないほどに。

 

物語は、彼女が実の妹を殺すところから始まる。彼女は暗殺のあとのルーティンワークをこなすと、あることを確認し、以前から温めていた計画の遂行を決意する。計画の最後のまさにその瞬間、彼女をよく知るある人物が現場にあらわれて……

 

……と、ここから先は読んでもらいたい。

 

さて、宣伝が済んだところで本題に入ろう。彼女はひじょうに無口だから、最初のふたつの話のあいだ、ほぼ誰とも口を利くことはない。だが最後の話で、彼女はそのあらわれた人物と、長い会話をすることになる。

 

まえにも述べた通り、わたしは会話の書き方がよくわかっていない。地の文なら問題なく書けることも、会話の中だとさっぱりだ。だから昨日の文章は、わたしにとってひとつの挑戦だった。もっとも物語に会話はつきものだから、これだとほとんどの物語が挑戦ということになってしまうのだが。

 

さて、前回会話を書いたときの問題は、ペースが速すぎて理解できないことだった。わたしの書いた会話を翌日に読み返して、わたしは率直にそう感じたのだ。たしかに、あの日わたしが書いた会話の中身は、頭を空っぽにしても理解できるほどには単純ではなかった。だから、もし行間が空きすぎていたなら、理解させるのはむずかしいだろう。だがおそらく、行間は空きすぎていない。なぜなら、あれくらい複雑な内容ならふだんから書いているし、そしてわたしは会話の中で、ふだんと同じくらい行間を詰めるように注意したつもりだったからだ。

 

結局、ペースを速く感じる原因は分からずじまいだった。そして分からないままに、わたしは昨日の会話を書いた。だから、昨日の会話だって、あまりに速くて理解できないものになるのが自然だろう。

 

だがはたして。喜ばしいことに、昨日の会話をいま読み返しても、理解できないほどに速いとはわたしは思わなかった。

 

では、それはなぜか。ひとつの安直な説明は、こうだ。この前の会話はセリフだけだったが、昨日の会話には、話者の動きを示すための地の文や、さらには情景描写が挟まっていた。だから、文章量あたりで考えれば、会話の密度は低い。それゆえ、ペースがゆっくりに思えるのは自然である、と。

 

あるいは、こうだ。いわゆる「三人称神の視点」の特性上、わたしは登場人物の思想を地の文に盛り込むことができる。だから、たしかに会話を書いていても、わたしは会話で情報をつたえているわけではない。あくまで会話は物語を進めるためのギミックであって、ほんとうの物語は人物の心の中、すなわち地の文で語られている。

 

さて、これらの説明には一定の説得力があるが、説明できない現象がひとつある。世の中には、会話だけで書かれたわかりやすい文章が存在するのだ。そしてそういう文章は、内容が単純だからわかりやすいわけでは断じてない。脚本ふうの文章や、あるいは「やる夫で学ぶ」シリーズなど代表されるように、会話は、ひじょうに複雑な内容をむしろひじょうにわかりやすく伝えることのできる媒体なのだ。

 

ということでわたしは、わかりやすい会話を書く術を身につけたい。さすればわたしは、これまでに書けなかったさまざまなことを書けるようになるだろう。ひじょうに喜ばしき、未来の姿だ。

 

だがいまのところ、わたしは会話のペースすらつかめない。だから、その輝かしき未来を、まだ目標にできる段階にはない。だからいまのところ、わたしはせめて、わたしが地の文で書けることの一部を会話でも書けるように練習するまでである。