宴会

 長いこと、わたしは飲み会が嫌いだった。

 

 具体的になんの回だったのかはもう忘れた。たぶんまだ大学に入る前だったはずだから、飲み会と呼ぶのは適切ではなかったかもしれない。わたしの時代はすでに未成年飲酒に厳しい時代であり、したがって店はきっと、若者向けの安かろうまずかろうの焼肉屋かなにかだった。

 

 とにかくその手のものに初めて参加し、どんなものだったかは忘れたがとにかくわたしは不快な思いをした。その不快さの責任がほんとうはだれにあったのかは、今となっては定かではない。当時のわたしを定義づけていた、中高生にありがちな原理主義的不寛容に原因があったのかもしれない。あるいはまわりの人間が悪い騒ぎかたをしていたのかもしれない。もしかすれば単純に、その店の飯がまずかっただけなのかもしれない。東京の店の狭苦しさに参ってしまっただけなのかもしれない。唯一たしかなのはとにかく、その回をわたしが快く思わなかったということだけである。

 

 とにかくその経験を悪しきものだと判断したわたしは、その結論に対する責任を自分の選択に求めた。つまり、わたしが嫌な気持ちになったことの元凶はわたしが誘いにイエスと言ってしまったからだ、という理解に至ったわけだ。そしてこれからは、たとえどれほど魅力的に見える会であっても、参加の要請にははっきりとノーを突きつけなければならぬ、という決意を固めることになった。

 

 もちろん当時のわたしが、その手の判断を下すのに十分な経験を積んでいたわけではない。人間関係のなかでそれなりの割合を占めるその種の儀式的領域を丸ごと切り捨てると決定するのは、もうすこしサンプルを集めてからでも遅くなかっただろう。

 

 だが当時のわたしは切り捨てた。切り捨てるのは褒められたことではないという知識は持っていたが、その手の人生訓に盲目的に従うほどにはまだ、当時のわたしは丸くなっていなかった。その手の人生訓に堂々と背くことができる向こう見ずな強さが、当時のわたしには確実にあった。

 

 その強さを失ったつもりはない。不快な会に無理をして出たほうがいいこともあるという主張にはいまでも賛同できない。参加しないやつは手を上げろと言われてだれも手を挙げないとき、成り行きの空気を断ち切って一番最初に手を挙げるひとりになることのできる自信は、いまなおしっかりと持っている。

 

 だがあのころのわたしを定義していたもうひとつの要素である、原理主義的な短絡性は消滅した。すべての飲み会が悪であるというわかりやすく極端な主張に、わたしは賛同できなくなった。