共感性羞恥 ②

山岡のことばを、わたしは頭のなかでくりかえしてみた。「人間は愚か」というあの格好つけたことばを思い出すといまでも、このマットレスとかけぶとんの間の空気は恥ずかしさそのもので、わたしはそんなさなかに身体を預けてしまっているような気がした。「俺は賢い」という言い訳と帰り道の早口の記憶が羽毛の中から立ち現れると、あたかもドアのところに姉かだれかが立っていて、わたしの思考そのものを監視しているように思えた。それでもなぜだか、恥ずかしさの正体を探り当てるまで、わたしはあの、全然当事者でもない事件から逃げてはいけないような気がした。

 

蛍光灯の紐がぷらぷらと、エアコンの風を受けて揺れていた。

 

「人間は愚か」――このことばに、わたしは聞き覚えがあった。たしかいまとはまったくちがう文脈で、でも聞こえた言葉は昼間とまったく同じで、今思えばそれこそが恥ずかしさの理由だった気がする。たしか前に聞いたときは恥ずかしくなんかなくて、だから山岡ごときになにが分かるんだって思った気がして……。

 

……思い出した。というより、忘れていたことが驚きだった。

 

四年前、中学校からの帰り道でわたしは、当時大学一年生だった姉にばったりと出くわした。それだけなら普通のことだけれど、姉の横にはなんと、スーツを着て二十五くらいに見える男の人がいた。一瞬、わたしは姉がその……あの手の活動に手を染めているのかと思って、姉の手を引いて逃げようとした。姉はわけのわからないようすですこし抵抗したけれど、ようやくわたしがなにをどう誤解したかに気づいて笑った。横の男の人も、同じように笑って言った。「そういう関係じゃないよ」

 

その後の状況からして、それは事実に思えた。そのあと何度か、わたしは姉に誘われて、その人と三人で会った。彼はわたしにもすごくよくしてくれた。何度目かの会で、姉がトイレに行っているとき、彼は「いいお姉さんをもって幸せだね」とわたしに言った。わたしは嬉しいような誇らしいような、とにかくふわふわした気持ちになった。お母さんはこのことを知らなかったけれど、そんなことはどうでもいい。いやむしろ、姉とふたりだけの秘密だからこそ、少し大人になった気がしてわたしはうれしかった。

 

そして、その一年後、事態は急変した。

 

「いますぐわたしの部屋に来て」 姉からそう連絡があって、わたしは不吉なものを感じた。行くと、姉はベッドに腰掛け、スマホを片手に泣いていた。「彼に連絡がつかないの」力なく話す姉の画面には、「アドレスが不適です」という、死刑宣告めいた無機質な文字列が並んでいた。

 

フラれたのなら残念だけれど、それくらいでこんなに落ち込むのか、とわたしは思って、申し訳なく思いながらもむしろどこか冷めたような目で姉を見ていた。でも、理由はそうではなかった。焦点の定まらぬ目で、姉は言った。「バイトで溜めたお金を渡した。その翌日から、連絡が取れなくなった」

 

わたしははっとして、自分を恥じた。彼との日々の中に、わたしは不自然な点を思い出そうとして……そしてすぐに、いくつもの経験が浮かび上がってきた。わたしは自分を猜疑心の強い方だと思っていたけれど、とんだ思い違いだった。

 

「引っかかったのが悔しいんだね」と言うと、姉はうなずき、絞り出すように言った。「わたしだけが引っかかるわけじゃないのは分かってる。人間は愚かだから、みんな同じ手口でやられるってことも分かってる。わたしだけが特別じゃないっていうのも分かってる。次に同じことがあったとしたら、わたしは同じように引っかかると思う。でも、どうしようもないじゃない! 彼だけは違うんだと思ってたんだから」

 

そのときはわたしも、姉と同じ気持ちだった。

 

……記憶の潮が引いていき、代わりに理解が満ちた。蛍光灯の紐は依然として揺れていたけれど、その中には受け身ではない、確固たる規則性が感じられた。山岡と姉の違い、同じ「人間は愚か」のニュアンスの違いは、いまや明白だった。山岡の言う「人間」には、山岡自身は含まれていない。対して姉のことばには、自分自身へのどうしようもない絶望が含まれていた。

 

では、どちらの態度がいいんだろう。姉の悲しみを間近で見てきた身として、同じことを経験するのはごめんだ。もちろん、「俺は賢い」と言われて数か月間煽られ続けるのだっていやなのには違いないけれど、それとこれとではレベルが違う。だから山岡のように、ほかの全員の知性を疑って、自分はほかの奴らとは違うんだっていうところを見せようとしなければいけないのかもしれない。彼なら、お金をせびられた時点でなにかがおかしいと気づくはずだから。そう考えると、姉のようになろうとする理由はなにひとつないようにも思える。

 

でも、わたしは答えをすでに知っていた。問いを立てた瞬間に、なぜだかは分からないけど、とにかく答えは一つしかなかった。もしかすると理由は、わたしが姉を好きで、山岡のことはどうでもいいからかもしれない。姉の場合だけ、人間を愚かだと思った経緯を知っているからかもしれない。あるいは、山岡のことばの薄っぺらさに覚えた、共感性羞恥のせいだったのかもしれない。でもとにかくわたしは、全面的に姉の味方だった。人間はみな愚かで、そしてわたし自身が、一番愚かでなければならなかった。

 

蛍光灯が弱弱しく瞬き、寿命の近さを告げた。わたしはそのまま、切れるのを待った。そんな日は当分先だとは知っているけれど、今はなぜか、自然に電気が消えるまでは目を閉じてはいけない気がした。わたしは、愚かだから。

 

窓の外には雪が降りはじめていた。翌朝、不安定な明かりの中で目覚めるまで、わたしはそれに気づかなかった。眠い目をこすりながら雪道を通学する途中も、わたしの頭にはふたつのおなじことばが同時にこだまし、そして決して、互いにまじりあうことはなかった。