ヒロイン案 ①

 砂漠に咲く水仙のような女性。それがこの日に見た、彼女の印象だった。

 

 七月の上旬、昨日までの雨が嘘のように太陽は照り付けていた。濡れた地面からもうもうと立ち上る蒸気は、まるで実体を持つかのように、ぼくたちの全身に容赦なく張り付く。前髪からひっきりなしに滴る汗がときおり睫毛にかかり、ただでさえぼやけて見える通学路のアスファルトの路面に、余計な揺らめきを加えていた。

 

 教室の冷房は消えていた。例年並みの猛暑に襲われた今年、大学の電気代は例年並みにひっ迫し、去年の地獄からなにも学ばなかった大学の事務は例年とまったく同じように、ぼくたちを熱中症で殺すことを選んだのだ。したがって講義室では玉の汗をかく学生たちが、机という机に塩辛い水溜まりを作りながら意識をもうろうとさせており、だから黒板の前で同じく汗を振りまきながらなにやら話している教授が小さい声で冗談を言っても、だれひとりとしてそれに気づくこともなかった。

 

 全員の意識が溶け出してしまったようなこの空間に、ひとつの特異点があった。彼女は教室の真ん中に陣取り、肩口まで伸ばした青い髪をまったく揺らすことなく、背筋をぴんと伸ばした完璧な姿勢で授業を聞いていた。ノートは開かず、右手でボールペンを回しながら、視線は完璧に教授のほうを睨みつけていた。

 

 どのみち教授の話など聞いていなかったぼくは講義をよそに、斜め後ろからただ彼女の白いワンピースを見ていた。教室じゅうでそこだけが場違いなほど涼しく、そうしているとなんだか少し、苦しさを忘れられるような気がした。そしてそのことが、暑さにやられきったぼくの脳に、ひとつの疑問についてあらためて考える気力をくれた。

 

 彼女はいったい、何者なのだろう。

 

 このどうしようもない講義に出席し続けているやつは少ない。五月までこの講義に出ていた友人たちも彼女の存在には気づいていて、話はことあるごとに、あの謎の女子学生についての話になった。大学生としてまともな神経をしているかれらがこの講義という消耗戦から撤退したいまでも、会うたびにその話題になる。あの子はまだ来ているのか、そもそも彼女は何人いるのか。

 

 そう。彼女は毎週、違ったファッションでやってくる。

 

 先週、彼女は黒のロングヘアをまっすぐに下ろし、赤いチェック柄のブラウスをまとっていた。大雨だったはずなのに、袖にはしみひとつ付いていなかった。その前は金髪にダメージシャツ、その前は三つ編みに眼鏡。まだ人の多かった初回講義で彼女がどこにいたのかについては意見が分かれるところだが、目立つ黄色のセーターを着ていたのが本物だろうとぼくは踏んでいる。それは違う学生だと強く主張する友人もいる。つまりは最初のうち、ぼくたちは彼女を見分けられていなかったということだ。最近になるとさすがに分かるようになったけれど、それもどちらかというと、そんなファッションで来るならば彼女に違いないという、むしろ消去法のような理由にすぎない。

 

 そろそろか、と思ってぼくは彼女に注目する。教授の話を聞こうとしないことによってセーブしていた、なけなしの集中力を彼女に注ぐ。

 

 彼女について唯一、予測可能なこと。それは彼女が、いたって真面目に話を聞いているように見えるのにもかかわらず、講義が中盤に差し掛かるとすっと立ち上がって、何事もなかったかのように教室を出ていくということだ。