環境の違い

 普段と違って、出先で日記を書くのには時間的な制約がある。

 

 まず、予定がある。寝る時間も制限を受ける。夕食を終えて部屋に戻って、時間が取れるとは限らない。だから探さないといけない。

 

 空き時間そのものはある。だから時間を探して見つからないということはない。ないのだが、普段と全然違うタイミングで書き始めなければならない。つまり、心の準備ができない。

 

 白状しよう。書くのは好きだと普段から言っていたわたしだが、いつも日記を書き始める前に、なんとなく筆が進まないなと思ってぼーっとしている時間がある。だいたいどうでもいい動画を見たり、すでに見たニュースやツイートやウェブ漫画をもう一度見たり、部屋の中を歩き回ったりしている。そうして何度か時計を見て、もう書かないと遊ぶ時間がないな、と思ったあたりで、ようやく重い腰を上げる。

 

 日記を書いている時間以上に無駄な時間である。それは自分でもよくわかっている。

 

 けれどきちんと生きればその時間を削減できると本気で思うほど、わたしは理想論者ではない。

 

 ひとの意志は弱い。弱いから布団でスマートフォンをいじるし、ミーティングの前に作業はできない。ここでやらないと忘れると思いつつも、メールに返信できない。

 

 物は言いよう。わたしが執筆前に無益な時間を過ごすという事実と、それを改善しようとしない怠惰は、まとめてこうやって正当化できる。

 

 わたしだけが特別だと思うほど、わたしはうぬぼれていないのだ、と。

 

 そして出先のいま、その怠惰は許されていない。わたしはその特別とやらを発揮して、さっさと書かなければならない。

 

 だから書きはじめた。

 

 見切り発車なのはいつもどおりである。だから出先にいることが、書くことが思いつかないことの言い訳にはならない。だが書くのがやや苦しいということの言い訳にはなる。心の準備ができていない。

 

 そう。心の準備が必要なのである。

 

 三年弱にわたってわたしは書き続けていた。投稿数はそろそろ千を超える。文字数はたぶん百万字を超えている。我ながらなかなかの量である。

 

 それでも書くのには気力がいる。心の準備ができていないと、書き進めるのがきつい。

 

 環境の違いとはそういうことである。

 

 たまにしか言わないが、わたしは文字数にノルマを決めている。キリよく一日千文字である。これだけ書いていると、千文字という長さはだんだん感覚でわかるようになってくる。

 

 だが今日は、なんだか特別長く書いたような気がしている。