ソフトドリンク ①

 飲まないやつに飲食店は厳しい。

 

 社会は、ではない。

 

 酒が苦手な人間にも飲むことを強要する社会というのがどうやら過去にはあって、最近の世の中はその悪習を払拭するためにずいぶんと頑張っているらしいが、そういう話をしたいわけではない。なぜって、わたしには関係のない話だからだ。

 

 わたしは平成生まれである。わざわざ飲酒を強要するような人間にわたしは会ったことがない。ほんとうは会っているのかもしれないが、少なくとも、強要されていると感じたことはない。そういうところに自分が鈍感な自覚はあるが、それは鈍感なほうがいい領域でもある。

 

 とにかく、わたしは昭和のことは知らない。だから飲まされるとか飲まされないとか、そういうことはどうでもいい。社会がどの方向に向かうべきだとか、そんなこともどうでもいい。酒を飲むかどうかに関する自己決定権の有無という点において、わたしは現状の世界に満足している。

 

 わたしが文句を言いたい相手は社会ではない。社会を断罪せねば気が済まないタイプの人間には気の毒な話だが、社会は悪ですらない。悪いのはあくまで飲食店である。

 

 具体的な話をしよう。

 

 酒を飲まないやつが飲み会に行く。飲み屋の飯は飲み物なしで食べられるようにはできていないし、飲み会という風習は飲み物なしで貫き通せるようにもできていないから、当然そいつは飲み物を頼む。そいつがやることはまず、飲料メニューの分かりにくい場所から、ソフトドリンクの欄を探すことである。

 

 隅に追いやられたその欄には欲求をそそる画像もない。ただ飲み物の名前が所狭しと並び、「各五五〇円」などという雑な値段表記で終わる。こいつらに酒と同じだけの権利はない。ただ事務的に書かれているだけ。

 

 そんな扱いを受ける理由は決まっている。そこに特別なものなどなにもないからだ。

 

 ウーロン茶とジンジャーエールとコーラ、それにオレンジジュースがどの店にもある。風情もクソもないファミレスのドリンクバーのような円筒形のコップに、業務用の四角い穴あき氷を大量に詰めて残ったスペースに、ただ注がれた状態で提供される。どの店でも味は同じである。ただ冷えているだけの、味の薄い液体である。

 

 それ以上のものはなにもない。

 

 世の中には美味しいジュースがある。この素晴らしい世の中が、かくも素晴らしくある理由のひとつである。ふるさと納税をすれば二千円の税負担で家に届く。それをわたしは喜んで飲む。

 

 だが飲料の総本山であるべき飲み屋では、そんな経験はできないのである。