まとめ ①

 ずっと書くことがない。

 

 ここ一年くらいずっと、小説もどきを書いたり生活のことを書いたりしてごまかしてきたが、そろそろ限界である。

 

 いや。限界というのは語弊がある。なぜかって、引き延ばすことはできるからだ。この三年弱でわたしが学んだのは、書くべきことがないときにそれでもなにかを書き上げるということであって、その能力を普通に発揮すれば、千文字を埋めることくらいは造作もない。

 

 そうではなく、ほんとうに書きたいなにかを書くという意味では、限界が近い。というか、超えて久しい。超えて久しいのに書き続けていられるのは、ひとえに長く書いてきたおかげで、書くのに労力がいらなくなったからにすぎない。

 

 惰性。前から分かっていたことではあるが、ずっとそうやって書いている。

 

 それでも書くか、というところに問題がある。やめようとしてもやめられない、と前に書いた覚えがあるが、そんなことはおそらくない。なにかきっかけさえあれば簡単にやめられるはずだ。

 

 そのきっかけがないという問題はある。とはいえ、博士課程もあと四ヶ月である。四か月後に生活は大きく変化する。ならばそれが、そのタイミングだろう。

 

 運命と言えば大げさすぎるが、わたしにはそれが、あらかじめ決められていた期限なような気がしてならない。

 

 四ヶ月はそれなりに長い。この三年間のまとめに入るには、いまはすこし早すぎる。いまからまとめはじめた結果、四ヶ月が過ぎる前にまとまりきって、最後の一ヶ月なにも書くことがない、ということだって起こりうる。そうなったらどういう顔で残りを過ごせばいいのか分からない。

 

 けれどまあ、後先考えないのはいまに始まった話ではない。困ったらそのときはそのときである。だからもう、振り返りの時期に入ることにしよう。

 

 この三年、執筆は楽しかったか。

 

 いま楽しいか、と言われればたぶん、そうでもない。だが苦しくはなく、日課にしていることが苦しくないということは、それなりに楽しいということではあるのだろう。脳と指を直結させて、それなりに脈絡のある文章が勝手に生成されるというのは、はじめたころには考えられないことだった。この世界を見られただけでも、やった甲斐はあったというものだ。

 

 という感じでまとめればなんとも普通で、平凡で、だれにでも言える感想みたいで。だがもともと特殊なことなどやっていないのだから、平凡な感想に終始するのも当然で。なにを得たかというとよく分からなくて、そもそも始める前の自分がどんなだったか、もうあまり思い出せなくて。