人の惑星 ⑩

 生物はべつに、人類のかたちを目指して進化するわけではない。

 

 そんなことは、宇宙になんか出なくても簡単に分かる。地球上には観測されているだけでも何万、何十万という生物種が暮らしており、ホモ・サピエンス以外のどれひとつとして、この星の住人によく似た種はない。わたしたちはみな、進化という気まぐれに伸びてゆく枝の現在の梢に過ぎず、そのなかで人型種族だけがなにかとくべつな位置にあるわけではない。

 

 だからたいていの進化の樹は、人型種族という地点を通らずに伸びてゆく。魚や虫やタコやクラゲがいくら進化したところで人類にはならないように、見知らぬ特定の星の原始の生物から始まる系統樹に人類が所属する可能性はきわめて低い。たとえ知的生命が発生したところで、それはきっと人類とはまったくことなる姿かたちをしているだろう――というのが、進化という観念からわたしたちが当たり前に想像する常識である。

 

 だがしかし。

 

 その常識が通用するのは、その原始の生命の所属する環境とやらが、完全にランダムに選ばれた場合の話である。その前提は果たして、この星には適用できるだろうか?

 

「天穂」号の航行 AI にこの星が選ばれたのは、さまざまな条件が適切だったからだ。太陽からの距離、自転および公転の周期や軸のかたむき、大気の圧力と組成、重力の大きさ、平均気温。液体の水、有害な宇宙線を遮断する大気層の存在。

 

 そして追加で、放出される電波やマイクロ波の強度から推論される、現地の文明のレベル。

 

 これだけの条件が地球とほぼ同じであるという厳しい要請にもかかわらず、それらをすべて満たす候補が見つかるのは、ひとえに数の暴力。星が星の数ほどあるからにほかならない。

 

 ならばこうは考えられないだろうか。進化の経路には膨大な可能性があるが、そのなかにはごく低確率で、人類のような形状が含まれている。そしてその人類という形状が自然淘汰の生き残りになる環境が、宇宙にはそれなりの数存在する。そしてそのような星でありうる系統樹において、地球人類レベルの文明を築くポテンシャルを持ちうる形態は、人型以外にはありえない。

 

 そう考えれば、交流可能な宇宙人がすべて地球人のかたちをしているのもまた、納得できないだろうか? 宇宙人と交流しようという意志を持つことのできるかたちが、意志を持つ機能を獲得できるかたちが、毛の薄い二足歩行のひょろ長い猿以外にはありえないのなら?