人の惑星 ②

 一般論として、宇宙生物の生態にはあらゆるものが考えられる。

 

 それもそのはず。それらはみな、べつべつの形態で発生し、それぞれの星の環境に従って進化してきたのだ。地球での進化がいかにランダムネスの連続であったかを思い出せば、ほかの星の生物がまったくべつの進化を遂げたと聞いても、驚くべきことはなにもない。そもそもの最初からゲノムのエンコード方法は共通していないだろうし、それ以前にそもそも、進化というシステムがほかの星にもあるのかということすら、たいへんに疑わしい。

 

 相手を星を統べる知的生物に限っても、不確定性は依然として残る。この星を支配する存在が、ホモ・サピエンスと多少なりとも似ている社会的生物であると仮定してものを考えることは、人類が宇宙に対して向けるべき柔軟さをそのひとが獲得していないということを意味している。足の本数が違うとか可視光の範囲が違うとか、そういう形式的なものとはまったく異なる質の差異が、人類とその生物のあいだにはきっと横たわっている。

 

 さて。いまわたしは、地図上に記載されている都市らしき地区を目指して歩いている。縦横に等間隔に引かれている固い地面の線はどうみても道路に見えるし、ところどころに見える緑色の部分はきっと公園に見える。地面で区切られた区画には箱型の物体が配置されており、それはどうみてもビルである。巨大な板は看板だし、道路らしきものの上を動いているのは車やバスだし、路面電車らしきものが通るための金属の線まで見える。地球上での常識に照らし合わせるなら、これは間違いなく、都市である。それも、非常に近代的な。

 

 だが、それは本当に都市なのか。そうでなければなんなのか、という問いに対する答えは浮かびそうにないが、宇宙はいつも人類の想像を超えてくる。本当に想像を超えてきた例をわたしは知らないが、とにかくそういうことになっているのだ。

 

 というわけで、わたしはそれに向かって歩きながら、それが都市だろうという理解を刻一刻と強めていく自分の認識に、全力で待ったをかけている。そう、行くまでは分からない。いや、行っても分からないかもしれない。電波塔のような赤い建物が見えてきても、わたしはまだ形式上、それが文明の産物であることを疑っている。

 

 疑っているということになっていた。

 

 平原の草は途切れ、畑らしきものが現れ始める。その隙間の道らしき部分を、わたしは歩いてゆく。しだいにぽつぽつと家らしきものが現れはじめ、庭や、車や、柵らしきものの隣を通る。

 

 そしてその家らしきものから、二足歩行をして服らしきものを着た、人間の子供らしきものが飛び出して来る。