宇宙空間 ④

 宇宙空間という場を、単純な物理法則に支配される単純な世界だと定義しての話を、これまで数回にわたって続けてきた。サイエンス・フィクションの多くの割合がそういうイメージを利用していることは疑いようもないが、宇宙のもうひとつの側面についても一応、触れておかねばなるまい。

 

 宇宙とはわたしたちの世の中を取り巻く、もっとも大きな構成単位である。それゆえにわたしたちの持つあらゆる概念は、宇宙という空間に包摂されていると言っていい。(再三のことながら一応ことわっておけば、それより大きな構成単位を考えられないわけではない。「最も○○な」という概念があれば、サイエンス・フィクションとはつねにその外側を行きたがる分野である。)

 

 もちろん、宇宙の大部分はなにもない虚無である。しかしながら物語とは宇宙空間のランダムな一点において発生した事象を記述するものではないわけで、より局所的な、特別な地点を舞台にすることができる。より具体的に言えば、生命体の存在する星の地表面のことである(注:もちろん生命体は地表面に存在するとは限らないし、そもそも星のうえにあると断定する理由もない)。

 

 宇宙とはすべてを包摂する場所であり、したがってそこには最も高いレベルの多様性が存在する――わたしたちはそう信じているから、宇宙生物のすべてがわたしたちと同じような生命体だとは考えない。わたしたちと似たような生物が存在するぶんには構わないが、その場合、それが宇宙生物であるということは物語の主題にはならない。

 

 それが寓話としての面白みを持たないかぎり、現世界でできることは現世界でやればよい。そのほうが物語は明快になる。だから人類でできることは人類でやればよいわけだ。とはいえ舞台が宇宙となれば話は少しややこしくなり、人類の居住可能な星は現時点で地球以外にないから、人類でできても地球でできないことをするためには、べつの生物を持ち出す必要があるかもしれない。

 

 だがここでは、人類とは根本的に異なる生態系の話をしよう。そこではいくぶん、わたしたちとは異なる生活がいとなまれている。そして作家の一部は、そういう生物系をいかに人類と異なるものとして描き出せるか、ということに情熱を燃やしている。サイエンス・フィクションの性として、人類や科学がこれまで想像したことのあることの、いかに外側に行けるかを競っている。

 

 そして、そうした戦いには最初から勝ち目がない。とうの作者たちが、宇宙の多様性は人類の想像の外にあるのだと最初から信じ込んでいる以上、かれらに想像できるものは、定義上宇宙の多様性には追いつけない。