人の惑星 ④

 この状況を説明できる仮説はふたつある。

 

 ひとつ。目の前の生物はあくまで宇宙生物である。それはあらゆる点で人間に似ているかもしれないが、進化の系統樹をたどってみれば、霊長目とは異なる進化を遂げている。彼我の違いを知るためにどのような観測が必要なのか――外見を注意深く眺めればわかることなのか、解剖が必要なのか、あるいはゲノムや分子組成のレベルにまで立ち入らなければならないのか――は分からないが、とにかく、かれらは独自の進化を遂げている。

 

 ひとつ。目の前の生物は人間である。つまりここは見知らぬ惑星などではない。「天穂」号が主観時間で二十年をかけて行ったのは、百数十光年の直線的な宇宙旅行ではなく、地球か太陽系の周辺を周回して戻ってくるという壮大な茶番である。いやそれどころか、「天穂」号が宇宙にいたのはほんの数日か数週間で、わたしのコールド・スリープは最初からごく短期間に設定されていた、ということもまた考えられる。

 

 さて。ふたつの仮説のうち、正しいのはどちらか。もちろん、いますぐに判定する方法はない。そういう検証に必要な機器は船に置いてきた。だが仮説検定とはどちらが正解かではなく、どちらの蓋然性が高いかを判別するものであり、今回の場合、それははっきりしている。

 

 目の前の生物は人間であり、わたしは地球に帰ってきている。

 

 わたしを騙して送り出したやつらに怒りを覚えながら、わたしは考える。「天穂」号が一度は宇宙空間に出たのは間違いない、そのときはまだコールド・スリープには入っていなかったのだから。となると、ここは宇宙センターから大陸レベルで離れた場所である可能性が高い。つまりわたしは自力でセンターまで帰り着かなければならないわけで、地球の貨幣も身分証もすべて置いてきたいま、それはなかなかチャレンジングな課題である。

 

 まあ、よい。腹は立つが、とりあえず街に向かおう。上手くいけば帰る手段が見つかるし、最悪でもここがどこなのかくらいは分かるはずだ。

 

 子供に手を振って、わたしは歩き始める。しばらくすると、近代的な街に入る。見慣れない横書きの文字で書かれた看板があり――つまり、ここはラテンアルファベット文化圏でも漢字文化圏でもない――それが赤紫色に輝いて、夕焼けに妖しい色合いを加えている。道路は綺麗に舗装されており、左右には同じく小綺麗な店が立ち並び、仕事帰りと思わしき客でにぎわっている。