現実世界

 サイエンス・フィクションの舞台設定についてしばらく書いていたが、さすがにそろそろ飽きてきた。というわけで方向を百八十度変えて、現実世界の話でもしてみようか。

 

 とか適当なことを言ってはみたものの、なにを書くのか決まっているわけではない。現実世界と断りなしに書いたが、この文脈における現実世界とはあくまで、サイエンス・フィクションが成立しない世界という意味でしかない。科学技術を存在させるためには、ただ想像して文章に起こす以上のなにかをしなければならない世界、ということ以上に、現実世界の現実たるゆえんはない。

 

 わたしは研究者である。厳密に言うと博士課程学生であり、研究者の卵とか言うのが正しいのだろうが、まあ博士も三年目だから研究者を名乗ってもよかろう。そして研究者とは、現実世界に科学を存在させるために存在する職業である。サイエンス・フィクションの世界のように、ただこんなものがあるのだと書くだけで技術を存在させることができないこの不自由な世界に、それでも科学をもたらすための職業である。

 

 そしてもちろん、そんな面倒なことはしたくない。すくなくとも、わたしは嫌だ。フィクションのなかであればただ存在すると言い切るだけで存在させられる類のものをこの世界に存在させるためだけに、わざわざ無駄な労力を費やしたくはない。

 

 それはきっと多かれ少なかれ、わたし以外にも、多くの人間に共通している感情だとわたしは思う。

 

 それでも科学者が仕事として成立するのはなぜか。もちろん、この現実という世界が、なんらかの意味で特別なものだからだ。

 

 一番よくある説明は――といっても、一般にはわざわざ説明するようなことではないと思われているから、実際に説明されているところを聞いたことはないのだが――こんんなところだろう。現実の科学が発展すれば、わたしたちは新しい洞察を得られるだけでなく、技術の恩恵を直接的に享受できる。これこそが、フィクションと現実の最大にして唯一の違いであり、いくら素晴らしいフィクションを作ったところで、それは現実に間接的な影響しか与え得ない。当然の論理だ。

 

 そして逆説的に言えば、もし技術の恩恵を享受しないか、するつもりがないか、できる状況にない場合、現実の科学とサイエンス・フィクションを区別しうるものはなにもないということになる。ただ、現実の科学だけに一方的に課された制約が、それを地に足の着いた、不自由な、歯切れの悪いものにしているというだけで。