現実論 ①

 現実とはフィクションの世界に面倒な制約を加えたものだ、とかなんとか、昨日だれかが言っていた。

 

 曰く、彼は現実という世界線の特別な価値をよく理解していないらしい。そうでなければ、想像のなかでならいくらでもできることをわざわざ現実でやろうとするなんてまったく意味が分からない、なんて、寝ぼけたことを言えるはずがない。この現実を良くするためにみんながいったいどれほどの努力をしているのか、彼にはきっと分からないのだろう。家から出てないから。

 

 こんなことを言うと、彼はこう言って嘲笑う。なんで努力する必要があるんですか。頑張らなくていいところでわざわざ頑張って、自分たち頑張ってるんですってアピールするの、自分の無能を証明してるみたいでダサいからやめたほうがいいですよ。現実世界に絶対の価値があるんだなんて、そんな妄想に時間と気力を使うくらいなら、もっと有意義なことをしようね、ゲームとか、ネットサーフィンとか、本を読むとか。

 

 現実のことがお嫌いなんですね、と反論してみる。差し支えなければ、あなたがどうしてそれほどまでにこの世界を否定したがるのか、教えていただけないでしょうか。きっとためになりますから。

 

 まずその敬語をやめていただけませんかね、さっきまでそんな感じじゃなかったじゃないですか、と彼は形だけの敬語で返す。で、心底楽しそうに、口元を歪めてまくしたてる。べつに現実は嫌いじゃないですよ。数ある世界の中で現実を優先する意味が分からない、ってだけで。想像のなかでできることは想像で済ませればいいじゃないですか、で、現実でしかできないことって、あんまりないじゃないですか。ないなら、それだけ現実には価値がないってことですよ。簡単な論理でしょ?

 

 って感じのことを言われて、彼がさっき、もっと有意義なことをせよと言ったのを時間差で思い出す。ゲームだってネットサーフィンだって、この世界がなければできやしない。彼が読む本はいったい、どの世界線で書かれたんだろう、と思う。

 

 でも彼は、まだ笑みを崩さない。

 

 そうだ。ウィキペディアってサイトご存知ですよね。あれ、面白いからよく読むんですけど、あそこに書いてあることってどれくらい現実なんですかね。あ、信憑性に問題があるって意味じゃないですよ。むしろネットの情報の中ではかなり信頼できるほうだっていうか。そうじゃなくて、あれってそもそもフィクションだと思うんですよ。だって、フィクションとして消化できますからね。