村 ②

 サイエンス・フィクションの世界と言われたときに最初に思い浮かべるような、ステレオタイプな世の中を想像してほしい。その場所の正体は未来の地球かもしれないしほかの星かもしれず、あるいは異世界かもしれないが、とにかくサイエンスという意味で、現代の現実社会より進んだ社会である。

 

 そこに、そうだな、タイムマシンを用意しよう。べつにタイムマシンでなくても構わないのだが、とにかく応用の広そうな技術ということで、いちばん一般的な題材を選んだまでだ。そのときその世界の住人は(進んだ世界を想像するのが難しければ、べつに現代人ということにしてもらっても構わない)、なにをはじめると期待されるだろうか。

 

 一番考えられるのは、その機械の使用を禁止したり、壊して使えないようにしてしまうことだ。タイムマシンは簡単にタイム・パラドックスを引き起こす。タイム・パラドックスは危険である。タイム・パラドックスを引き起こさずに時間旅行をするのは困難だ。タイム・パラドックスを引き起こさないようなタイムマシンがどうすれば成立しうるのか、わたしたちは知らない。だから安全のためには、使えなくしてしまうのが一番だ。

 

 ほかにもいろいろな態度がある。たとえば、その機械の存在を隠蔽する。その機械を厳密な管理下に置き、限られた人間だけが使えるようにする。その機械をだれもが使えるようにはするが、発生したタイム・パラドックスを修正できるような警察組織を作って運営する。その機械をだれもが使えるようにして、タイム・パラドックスという現象を社会に組み込んでしまう。

 

 どれが正解だ、と言うつもりはない。物語は自由である。どれを採用するかは作者次第だ。けれど不可能な選択肢がひとつある。タイムマシンが存在するとだれもが知っているにもかかわらず、タイム・パラドックスという現象に対してなんの対策も打たず、それが引き起こすかもしれないものごとの重大性について科学的に真面目に考察する人間が、だれひとりとして存在しない、という状態だ。

 

 なぜその選択肢は不可能なのか。理由は明らかだろう。つまり、科学的に進んだ世界の存在は必ず哲学的な問いにかまけるものであり、タイム・パラドックスがきわめて初歩的な矛盾である以上、そういった存在のすべてがタイムマシンにその哲学的な疑念を向けずにいられるということは、決してありえないからである。

 

 だが。タイムマシンがあるのがもし、科学的に進んだ世界ではなかったのだとしたらどうだろうか。呪術か魔術を信じて素朴に日々を送る非文明的な住人は、その機械がはらむ矛盾にかならず思い至ると、ほんとうに言い切れるだろうか?