「科学」と魔法の相違点 ②

創作の中の「科学」がわたしたちの暮らす現実世界の中にあれば、それらはおそらく魔法として扱われるだろう。しかしながら創作の世界の住人たちにとって、それはまぎれもない科学の成果である。

 

では、創作の中ですら魔法と言われるものはなんだろう。ひとつの妥当な解釈は、現実世界と同様に創作の中でも魔法とは不可能性を意味するという解釈だ。実際のところ、ほとんどの創作物ではそうなっている。創作の中の世界とは多かれ少なかれわたしたちの暮らす現実世界をモチーフにしているものであり、そしてすべての大元たるこの現実世界で、魔法とは不可能を意味しているからだ。

 

しかしながら、魔法が可能なファンタジー世界は存在する。そしてその世界では、現実のわたしたちが考える「魔法」がそのまま、魔法という名前で呼ばれている。ファンタジーの世界とは現実の人間が考えた世界なのだから当たり前と言えば当たり前なのだが、それにはまだ若干の考証の余地が残っているようにわたしには思える。

 

魔法ファンタジーの世界の住人になった気持ちで考えてみよう。魔法が可能な世界である以上、その世界における魔法とは、わたしたちの考える「魔法」とは少々異なる概念なはずだ。まず、それは不可能を意味しない。両手から炎を噴射できる少女や、他人の心情が正確に読み取れる少年が身近にいる世界では、魔法とはまったく現実の問題になるわけだ。現実世界で「魔法のような」という表現を用いればそれは「どういう原理で動いているのか想像もつかない」という意味だが、魔法の存在する世界ではおそらく、文字通りに魔法のようなものを意味することになるだろう。

 

もしわたしたちがその世界に行けば、おそらく魔法を利用しようとする。エネルギー保存則を無視して手から炎を出せる少女は、たくさん雇って発電にでも使おう。他人の心情が読める人間は……そうだな。面接にでも同行させればいいだろうか。実際、魔法ファンタジーの中にもそうしたシステムが存在して、たとえば魔法銀行のシステムには、魔法の認証システムが組込まれている。システムを構築することにかけてはおそらくわたしたちが一枚上手だろうが、とにかくひとは魔法を技術とみなし、それを使って何らかの利益を追求しようとするわけだ。

 

そして重要なのは、技術とみなされてもなお、魔法は魔法だということだ。

 

魔法の魔法たるゆえんは、おそらくそれと正反対の方向にある。「科学」と魔法の最大の違い、それは応用ではなく基礎に目を向けた先にあるのだ。「科学」には理論的な基礎がある。創作の「科学」理論は、たしかに現実のわたしたちから見れば根拠に欠けるが、創作の中の存在にとってみれば、明確な理論的背景を備えているものなのだ。だが魔法は、魔法の存在する世界の人物にすら、基礎を解明されていない。魔法ファンタジーに設定された長大な歴史の中で、魔法はつねに、よくわからないけれど便利なものとして使われてきた。

 

では基礎が存在しない科学はないのかと言われれば、そうは言えない。現実にだって、理屈が解明されていない現象はいくらでもある。しかしながら、それは依然として科学である。よしんば基礎が明確になっていなかったとしても、基礎が存在するとだれもが信じているゆえに。

 

そう考えれば。きっと科学とは、すべてのものに基礎が存在するという信仰のもとに成り立っている概念なのだろう。