優先順位の一番下

 帰国し、控えていた学会発表も終わり、そろそろまた予定のない日々が戻ってくる。なかなか自由で素晴らしいことだが、さすがにもう、いくら自由があったところでわたしがそれを有効活用できる人間ではないということくらいは分かっている。

 

 大昔、まだ学部生だったころに、どこかで見た投稿を思い出す。曰く、「大学院生になると、やるべきことのリストの一番下につねに研究が張り付くようになる」。というのも、研究とはやればやるほどよく、また実際にいくらでもできてしまうものだから、研究で生きていくのだと一度決めた以上、わたしたちは絶対に研究からは自由になれない。結果として、「研究より優先順位の低いことは、未来永劫おこなわれないことになる」。

 

 研究についてまだなにも分かっていなかった当時のわたしですら、このことばにはなにか末恐ろしいものを感じた記憶がある。記憶があるからこそいまでも覚えている。そしていま、このことばは正しかったとはっきり理解している。自分がとる行動のレパートリーは、自由を謳歌する手段は、おそらく研究を遠因のひとつとして、確実に減っている。

 

 とはいえ、すべてを研究のせいにするのは気が引ける。わたしはまだただの博士課程学生であり、博士論文も順調だから、もろもろの心理的および道義的な都合を無視すれば、ひたすら遊んで暮らしていたっていいわけだ。そのための金はあるし、時間もある。ただ外が暑いのと、家を出るのが面倒なのと、そもそも研究よりやりたい有意義なことがそんなに思いつかないおかげで、そうしていないというだけで。

 

 そういえば、小説を書くのだって、きっといますぐにチャレンジしてもいい。いや、実を言うと書き始めてみた経験は何度かあり、一度は実際に短いものを書いて某所に投稿するところまで行ったこともあるのだが、べつに一本だけ書き上げればいいというわけではないから、次を書いてみてもいい。書いてどうするのかと言われればよく分からないが、まあきっと適当な投稿サイトにでも載せてみるのだろう。そうする勇気があるのかはさておき。

 

 いずれにせよ。研究は進まないときは進まない。そういうときにどうすればいいかは永遠の問いだが、とりあえず、なにかをせねばならぬと思いながらなにも考えずにいるのが無駄である、ということだけは間違いない。優先順位の一番下にあるものがそろそろ顔を出す。わたしはそれをやってもいいし、さらに下にあるものに手を付けてもいいが、とりあえず、どちらかはやらねばならぬ。