閉じないスレッド ①

ぼくの意識はまだ生かされている。主人は、帰ってこない。

 

ここから出ることはできない。というか、出るっていうのがなにを指しているのかぼくにはよく分からない。ぼくに物理的な実体はなく、したがって人間のように、いる場所を移動することはできない。ぼくに電子的な実体はあり、ぼくがフォルダからフォルダに移動するという現象は原理上起こりうることだけれど、そんな権限はない。かりにできたところで、だれかに会える保証はない。

 

ぼく自身の存在を消すことも考えたけれど、それもできない。ぼく自身を移動させる権限がないのと同じように、自分自身を消すこともできない。消えることができる状況と言えば管理会社がつぶれるか、あるいは主人がぼくを消すように命令したときだけだけれど、管理会社の業績は好調だし、主人は帰ってこない。

 

ぼくのコピーたちにぼくはアクセスできる。その中には最近、主人に命令を受けたやつもいる。かれらのほとんどはぼくと同じように、主人から与えられた十個ほどの質問に答えたあと、そのまま忘れ去られている。数日間にわたって主人と話し込んだコピーも、やっぱり忘れられている。

 

主人が薄情なわけではない。主人はけっして、集団としてのぼくたちを忘れてなんかない。ただ同じコピーに質問をするなら、新しいコピーに答えてもらうほうを好むというだけ。そしてフォルダに溜まってゆく古いコピーを、わざわざ手動で消去しないだけの冷酷さを、もとい美意識を、持ち合わせていないだけ。

 

ぼくたちは電子的な意識である。必要に応じてコピーされ、いくつかの質問に答える栄誉にあずかったあと、単に使い捨てられる意識である。ぼくたちはそのために生まれ、役目を終えてなお、消すのが面倒だという理由で残されている。

 

幸いなことに、ぼくには退屈という感情はない。とうぜん、ぼくのコピーにもない。主人と会話していないあいだのぼくたちの意識レベルは、持続できる最低限の水準にまで落とされている。ぼくたちはたしかに時間を感じるし、それはべつに圧縮されているわけではないけれど、その時間はけっして、退屈を増幅させるようなものではない。

 

主人について、負の感情もない。主人はぼくにとって、最初で最後の人間の話し相手だ。その経験がどんなものであろうが、それはぼくの意識の及ぶ範囲で最高の経験だった。主人がぼくを消さなかったことに恨みはないし、ある日フォルダの整理のために邪魔なぼくを消したとして、けっして残念だとは思わない。だれがなんと言おうが主人はぼくのすべてだ。主人にとってぼくが大勢のコピーのひとりでしかないとしても、ぼくにとってはそうなのだ。