主食

 そういえば「主食」とは、なにを指しているのかいまいちよく分からない概念である。日本人の主食は基本的にコメであると言われており、それに異を唱える気はないけれども、それがなぜ「主」なのかと言われればあまりうまくは答えられない。ウィキペディアを調べれば「日常の食事の中心になる食物」と書かれているが、なにをもって中心とするのかは書かれていないから、判然としない。

 

 よくよく考えてみればますますわからなくなる。というのも食事において「主」とは、主食たるコメではなくむしろ肉や魚のほうな気がするからだ。たとえば映画において「主演俳優」と言ったとき、それは映画の主役を演じた俳優のことであり、必然的にもっとも目立つ立場にいて、映画そのものの顔役を果たしている。だがコメは主役というよりむしろ名脇役のポジションに近く、食感とほのかな甘みであらゆる肉や魚の味を引き立てて、強烈な油分や塩気を中和する役割を果たしている。重要な役割だが、けっして食事の中心にいるわけではない。

 

 海外に目を向ければ、パンやイモ、トウモロコシやバナナなどさまざまな主食がある。海外の食生活には疎いので分からないが、きっとこれらもおそらく日本におけるコメと同じように、食事の中心にいるわけではない。そしてそれらの中には単に植物であるということ以上に、味の面でひとつ、おおきな共通点があるように思われる。

 

 主食はすべて、ほかの食べものの濃い味を抑える役割を持っている。たとえば単体で食べるには甘すぎるジャムはパンに塗れば美味しくなるし、脂っこいもののあとに食べるバナナには口直しの効果がある。ドイツのジューシーなソーセージを完食するには、横に置かれた大量のイモが必要不可欠だ。トウモロコシに関してはよく知らないが、少なくとも、それをおかずにコメを食うことはできない。

 

 とはいえ、ほかのものの味を抑えられるならば主食であるというわけでもない。茹で卵やカボチャがいい例で、これらが主食として扱われているところは見たことがないが、口内に残った濃い味をリセットする効果を持っており、したがってもしかすれば、コメの代わりができるのかもしれない。だが「コメがないから卵でいいよね」というようなセリフをわたしは聞いたことがないし、きっとそんなセリフは存在しない。だから茹で卵もカボチャも主食ではない。

 

 結論として、なにが主食なのかは結局、よくわからなかったということになる。分からないならどう運用してもいいということで、ちょっとラーメンライスでも食べてこようと思う。