サイレント ②

彼女が五歳になったころ、彼女の両親は別れた。それが彼女の生涯に与えた影響は、しかしながら、ほとんどないと言ってよかった。

 

親の手を煩わせないということをいい子の条件とするのなら、彼女は最高にいい子だった。まず第一にことばを話さないので、親に文句を言うことがない。反抗的なところもまったくなく、一日中ベッドに腰掛けて動かない。気だるげにぼーっとしているのかと言えばそうでもなく、むしろその目はどこまでも澄んでいて、どこか近いところをしっかりと見据えているから、健康的に見える。

 

両親は毎日、彼女の部屋に着替えと食事を持っていった。彼女はきちんと着替え、残さずに食べた。週に一度の風呂には少々工夫が必要だったけれど、キャスター付きの小さな椅子に座らせて運び、そのままシャワーで身体を流すことを始めてからは、苦労はなくなった。育児はどこまでもシステム化され、単純労働になった。

 

子はかすがいとはよく言ったものの、それはこんな子の果たす役割ではないのだろう。両親が別れたあと彼女は都会の病院に引き取られ、両親からの特異な引継ぎ事項をしっかりと理解した優秀な看護師たちによって完璧に育て上げられた――つまり、彼女の生命と尊厳をつなぐための、完全に機械化された無人のシステムが構築されたのである。

 

しかしながら彼女は、ことばを理解していなかったわけではなかった。

 

異なる機械同士を組合わせてひとつのシステムを構成するとき、機械から機械へといかにして情報を伝達するか、というのは重要な懸案事項である。歴史を紐解けばわかることだが、今世紀初頭の人類はその部分をほとんど人力で構築していたらしい。つまり、どの機械からどの機械にどのようにデータを送り、それをどうやって変換するのか……といった規則を、命令の列の形で人間がいちいち書きくだしていた、というわけである。

 

もちろんそんなことではとても、複雑なシステムは構築できない。実際過去には、複数の銀行のものを統合しようと作ったシステムに多大なバグが生じ、一般市民が紙幣を手に入れられなくなるなどの事故が発生していたらしい。むろんそれは過去の話で、この現代において、複数のシステムは簡単に統合することができる。

 

現代の機械はことばを話す。生い立ちの異なる機械同士が、協働のための共通の言語クレオールをつくりだし、それを用いてあらゆる伝達を行う。そうすることで、人間は機械に、コミュニケーションの方法を教えなくてよくなる。

 

彼女の両親は、どちらかといえば機械を好むほうだった。彼女の脳にはナノデバイスが埋め込まれ、ライフログの記録などに使われていた。そして幼い彼女は機械たちの話すことばをなんらかの意味で理解し、それを母語として受け入れたのである。