メロディー記憶

 最近指摘されて気づいたことだが、わたしにはどうやら、メロディーを記憶する能力がそれなりにあるらしい。ひとの顔や目的地への経路はまるで覚えられないのだから純粋な記憶力がいいわけではなく、金を出してイアホンを買ったことがないほど音楽に対する興味がないのに、不思議な話である。

 

 とはいえ言われてみればそんな気もする。ドラマのオープニングを見ても俳優の名前は覚えないのに、そこで使われていた曲が別の場所で流れているとすぐにわかる。十年前のオリンピックのテーマ曲なんかも一部を聞けばいまだに思い出せるし、その後のメロディーを再現することもできる。歌詞はもちろん覚えていないけれど相対音感ならあるから、代わりに階名で歌うことはできる。

 

 だからなんなのか、と言われればべつになんということはない。こんな能力を持っていたところでいまの生活では役に立たないし、これが役に立つ人生がそもそもありうるのかも疑問である。最近よく耳にするなぁと思っている曲はたいていヒット曲だから、曲の流行を追いかける役には多少は立つかもしれないけれど、わたしにそういうミーハーな趣味はないからやっぱりどうでもいい。かりにそんな趣味があったとして、ヒット曲は有名な曲なのだからそんな回りくどいことをしなくても簡単に知れる。こういうふうにして、サビだけ知っている曲が大量発生する。

 

 とはいえ自分の能力とはやはり気になるものである。とはいえどうしてそんな能力があるかという問いにまともに答えるのは難しい。脳科学はこれを脳のナントカ野が発達していることの帰結であると結論付け、ならばほかにこんなことも得意なはずだとさして正しくもない推論をしてくるのだろうが、あいにくわたしは脳科学を知らない。知っていたところで、わたしの知的好奇心は、そんなことのためにわざわざ MRI かなにかを撮りに大病院まで出向くほど旺盛ではない。

 

 分かるのは単に、わたしはわたしの生活上まったく必要のないはずの能力を持っており、鍛えた記憶がないことからしてその能力はおそらく先天的なもので、そしてそう知ったところで、その能力を人生に生かす気はさらさらない、ということくらいである。

 

 音楽は人生を豊かにするらしい。もちろん受け売りだが、もしかするとわたしは、音楽を聴くことに関してある意味で適した脳を持っているのかもしれない。そしてそれは純粋に脳科学的な話であり、わたしの思想や感性とはまったく関係ない以上、たとえ適性があったとして、それだけで人生を豊かにできるようなものでもない。