作業用 BGM

 作業に集中するための手法として、背景で音楽を流すというものがあるらしいと聞いて知ってはいたけれど、これまでは真面目に実践してみようとしたことはなかった。言わずもがな、そもそも音楽を聴く習慣がなかったからである。

 

 なんの巡りあわせかは知らないがふと思い立って、ここ一週間ほどその、作業用 BGM と呼ばれている手法を取り入れてみている。もちろん悪い点もあるのだが、さすが名前のついている手法だけあって、うまく使えばなかなか有用だ。これまで真面目に使ってこなかったことが、すこしだけ悔やまれる。

 

 バックグラウンドで音楽を流すことには思うに、気が散って集中力が途切れるのを阻害してくれる効果があるようだ。きっと脳内の気を散らす元凶になっている部分が音楽を聴くことに手いっぱいで、別のことに興味を移させることができなくなっているのだろう。効果としてたとえばわたしたちは、作業中にふとツイッターを見に行った結果としてよく時間を吸いつくされているわけだが、そういうことがけっこう減って、作業を長い時間続けられるようになる。もちろんそれでもツイッターを見に行くことはあるし、見に行ってしまったときに吸い取られる時間は音楽が流れていようがいまいが変わらないのだが、見に行く頻度が少なくなれば、無駄になる時間も減るはずだ。

 

 逆に、なにか高い集中力を要する作業をしたいときには、音楽は不向きなようだ。たとえば複雑なプログラムや数学の証明などは、それを書く作業にすべての思考リソースを費やさなければとても書けないわけだが、そういうときに音楽は邪魔である。脳のリソースの一部が歌詞やメロディーを聴くのに占有されてしまっていて、その部分がないとけっして、プログラムは動かないし証明は完成しない。

 

 もちろんこれらはわたしの主観である。脳科学はきっとこれらの現象を定式化して、音楽を聴くという行為は脳のナントカ野を使う行為であってそれにはこれこれこういう副作用がある、といった要領で、作業用 BGM の有用性あるいは無益性を主張できるだろう。けれど脳科学を学ばないものにとってそれは感覚的に理解不能な、ある種の呪術的な説明にすぎないから、そんな説明をされたところで、なんだかけむに巻かれたような気持ちになるだけである。だからたとえ非科学的だろうが、それがわたしにとっての真実である以上、こういうものは主観的に説明したほうがいい。