積分順序論

 物理学の人間が数式を「物理的に」扱うと、数学の人間がその場にぬっと湧いて出て、その積分と極限はどうして入れ替えられるんですか、とか言って枝葉の部分にまで過剰な厳密さを要求するせいで、やりたかった本質的な話がいっこうに進まない。数学と物理学の人間の数式の扱いの違いとして、頻繁に語られるステレオタイプである。

 

 たいていのステレオタイプな物語がそうであるように、この話もまた戯画化が過ぎる。したがって現実を正しく描き出しているかと言われれば、全然そんなことはない。そんなことはないというのは文字通り現実はそうなっていないという意味であって、わたしが数学の人間だから数学の人間のことを悪く言うステレオタイプを許せないのだとか、そういう政治的な意味ではない。物理学アンチのひとりとして政治活動に勤しみたい気持ちはやまやまだが、いますぐそうする気にはならない。

 

 政治の話が出たことだし、せっかくだからわたしの政治的態度を明確にしておこう。自分のポジションとは矛盾するようだが、積分と極限の順序に関して、わたしはむしろ入れ替えられてしかるべきだと思う。だから物理の人間のやっていることは、常識的正義の意味でまったく正しいとわたしは考えているし、物理の人間がそうするものだと分かっていてわざわざツッコミを入れる数学の人間は、面倒くさいやつだと思う。数学的対象に対して「こうあるべきだ」などという正義感を持ち出されることに慣れていない数学の人間向けにあらためて強調しておくがこれはあくまでわたしの正義感であり、数学的な真実とはまったく関係ない。あなたがどれだけ数学に人生を賭けておりそのほかの社会事情に途方もなく疎かったとしても、およそ正義というものが数学的論理的な事実とはまったく無関係であるということくらいは、きっと承知していると期待している。

 

 とはいえわたしの常識的正義は、すべての物理学的操作を是認するようなものではない。非厳密性を正義で上書きして平気でいられると言ってもやはりまだわたしは数学の人間であり、ゆえにわたしの正義感はある程度数学の影響を受けている。積分と極限を入れ替えるくらいならまあ病的な例以外は大丈夫だし(というか数学だって入れ替えられるのがどんな場合なのかを真剣に議論するのだから、心の底では軽率に入れ替えたがっているに違いない)、関数に勝手に都合の良い連続性を課すくらいなんてことはないのだが、物理の人間のやっていることは時折、そんなレベルでは済まないことがある。