容姿の語彙

 顔の見えないコミュニケーションに慣れ切ったせいかは知らないが、ひとの容姿というもののもたらす情報にわたしはずいぶん無頓着である。日頃の情報伝達はボイスチャットで完全に事足りているし、オンラインミーティングに顔を映すのだって、単に対面時代の名残の、無意味に形式化したルールにすぎないと本気で思っている。

 

 いまのは現実の話し相手に関する話だが、架空の存在についても似たようなことが言える。具体的に言えば、小説を読むとき、登場人物の姿をわたしはおそらくほとんど意識していないのだ。性別や年齢くらいは意識しているだろうけれど、やれ目の色が何だとか髪型がなんだとか、そういうことはぜんぜん、脳内で映像にならない。映像にならなくても本は読めるし、実際にそうしている。

 

 といっても、作者までそうであるわけではないだろう。統計を取ったことはないので分からないが、おそらくたいていの小説は新しい登場人物が出てくるたびに一、二段落を費やして、そのひとの容姿を簡潔に説明する傾向にある。髪が何色でどれくらいの長さで身長がどれくらいで目がどういう形をしていて……とまあ、読者がその人物をイメージするに足るくらいの明快な説明が、逐一なされるわけである。

 

 わたしにはその部分が分からない。いや本気を出せば――すなわち、一言一句漏らさぬように読み、顔のパーツをいちいち順に想像していけば――、もしかすると理解できるのかもしれない。そしてわたしにもし絵心があれば、似顔絵でも書いてみることができたのかもしれない。だがわたしはひとの顔に興味がないからそういう部分は読み飛ばすし、したがってわたしは登場人物の容姿を、けっして想像しないままに読み進める。

 

 それで読めるのが小説である。おそらく作者のうちにはわたしのような人間もいて、申し訳程度に設定した登場人物の容姿をすぐにすっかり忘れ、だがその状態でも問題なく物語を展開しているはずだ。ひとの具体的な容姿というものは話の内容にほとんど影響を与えない。もちろん美人だったり、太っていたりする必要のある人物はいるだろうが、それを表現するには具体的な描写は必要なく、ただ綺麗だとかデブだとか書けば十分である。

 

 というわけでわたしは、容姿に関する語彙を覚えてこなかった。たとえば髪の毛の色に亜麻色というものがあるらしく、それは再三話に登場するのだけれど、その文字列を何度も見てきてなお、亜麻色がどんな色なのかわたしは知らない。それは亜麻色がどんな色なのか分からなくてもそれで困ることがないからであり、したがって逆説的に、文脈から推測することが不可能だからでもある。

 

 読むならそれでいいけれど、書くのはその状態では無理なので、わたしはすこし困っている。