福笑い

 今に始まった話ではないし、わたしだけが抱えている問題でもないのだが、ひとの顔が全然覚えられない。覚えられないと言うとなんだかまるで覚えようという努力をしてはいるような印象を与えてしまうが、もちろん努力なんてしていない。

 

 できないことはできないので開き直るしかない。だから顔を覚えられないなら、覚えられないなりの工夫をするべきだ。わたしがやっているのは、初対面であるという確信がない限り、けっして初めましてと言わないこと。「覚えてますか?」と聞かれれば、ごまかすのではなく、素直に「顔を覚えるのが苦手で」と白状する。そして「当然知ってますよね」みたいなテンションで話しかけられたときには、知らなくても当然知っている感じで応対して、あとであれはだれだったのかと考える。それでたいてい、どうにかなる。どうにかなるのだから、これ以上話を続ける必要はない。

 

 とはいえ。どうにかなる、で満足するのは、わたしが他人の顔という情報に頓着しないからだろう。こう書くとアンチルッキズムの体現者みたいだけれど、そんな高尚な話ではない。差別とか偏見とかの話になるとひとは突然、自分がそれにただ興味がないというだけの事実を声高に誇りはじめる傾向にあるけれど、残念ながらわたしのアイデンティティにはそんなことをせずとも保っていられるだけの強さがある。

 

 わたしはひとの顔に興味がない。では逆に、ひとの顔に興味があるとはどういう状態だろうか。目の前の人間をただ漠然と見るかわりに、微に入り細を穿ってつぶさに観察する態度とは、いったいどういう感覚なのだろう。

 

 そういうひとの気持ちになるのは難しいが、自分に置き換えてみれば簡単だ。わたしにとって詳細に観察するとはつまり、対象を言語化しようと試みることである。

 

 ひとの顔を表すことばをわたしはあまり知らない。架空の人物を設定するとして、髪の色と長さ以外、なにをどう言えばいいのかよく分からない。目や鼻や口の形をあらわすことばがいくつかあるのは知っているが、それらが具体的になにを指すのかはやっぱりよく知らない。「切れ長の目」とはなんだろう、「おちょぼ口」とは? 「そばかす」とはあまり印象の良くないものらしいが、いったいどういうものだろう?

 

 そしてそういうものをたくさん覚えて、目の前の人間の顔の特徴をことばによってカテゴライズしていけば、もしかしてひとの顔というのは、覚えられるようになるのだろうか? さながら福笑いのように、パーツごとに分解して表現すれば?

 

 その試みはなんだか冒涜的である。人間の顔を「こんな目でこんな鼻で」と、実際に説明しているさまをわたしは見たことがない。けれど自分自身の言語能力のためとあらば、やってみるのも面白いかもしれない。