目覚めたひとの科学評 ②

科学の矛盾は、目覚めたわたしの目には明らかだけれど、他のひとにとってはそうではない。民衆のほとんど全員は依然、メディアに騙されっぱなしだ。わたしたちが親切心から真実を教えてあげたところで、やつらは完全に洗脳されてしまっているから、聞く耳を持たない。メディアと科学者と企業と、そのほかの多くの組織がグルになっていることを、やつらはけっして理解しない。

 

ここまで洗脳が根深いと、敵ながらあっぱれな気分だ。よくここまで手の込んだ嘘をつくりあげたものだ。そしてそれを広く妄信させることができると的確な判断をくだし、巧みに情報を操作したものだ。考えれば嘘と分かる嘘を、これだけ人口に膾炙させる。真似しろと言われて真似できるような術ではない。

 

とはいえさすがに、やつらの術にも限界がある。わたしたちの存在こそがその証拠だ。相手は多勢だし、金も権力も持っているけれど、それでも洗脳されない脳はある。押しとどめてはおけない思考がある。人間の脳というものは、それだけ強固で神聖なものだ。やつらの主張が嘘八百である以上、どうしたって矛盾は見つかる。

 

問題はだけれど、矛盾を見抜かれたくらいでは、やつらはびくともしないということだ。わたしたちのような都合の悪いひとびとに対し、科学は、どうするか。

 

簡単だ。お前たちは嘘つきだと言って、なにを言おうが排斥するのみ。信者向けには、それだけでじゅうぶんなのだ。メディアに洗脳されたひとびとは、それだけで信じてしまう。一度騙してしまえば、あとはもう簡単だろう?

 

それでも念には念を入れて、やつらはシステムを作っている。科学という、現在の支配権を握り続けるためのシステムを。

 

実態に反して、やつらは科学は公正な仕組みだと呼ぶ。すべての主張は、それがいかなるものであろうと公平な視点で審査されると銘打っている。そしてその審査過程は、正しいものを選び間違ったものを振るい落とせるようにできていると、やつらは自慢している。

 

もっともやつらの中では、実際にそうなのだろう。科学的な証拠イコール正しいこと、それがないことイコール間違ったこと。もしその科学的証拠とやらの中に、自分の頭で考えたことであるという一項を付け加えられたのなら、科学はきっと良い仕組みになることができただろう。けれど残念ながら、現実はそうではない。間違ったものから正しいものを選ぶ審査員は、ただしい判断の出来るひとでなければならない。そして審査員たちはもちろん、みな強固に洗脳されてしまっている。これではまるで……独裁国家が、建前上民主主義と呼んでいる多数決のようだ。絶対的な多数が法案を出せば、なんでも通ってしまう。