「生娘をシャブ漬け」はどう「面白いのか」 ②

一旦、発言の文字通りの意味から離れてみよう。

 

発言主が伝えたかったことはなにか。それを知るためには一度、表面的な表現を捨象してやる必要がある。「生娘」「シャブ漬け」といった表現、「ヤバい」ことば。だがそれらは、学生に戦略を伝えるための包装紙にすぎない。

 

それを丁寧にはがしていけば。あとには果たして、なにが残るのだろうか。

 

意外なことに。

 

それは、いたって普通の、ヤバくもなんともないマーケティング戦略だ。

 

ヤバくない戦略。登壇者の戦略は、いたって普通の戦略だ。それを実感してもらうためには、書き直してみるのがいいだろう。まったくヤバくない形で、書き直すこと。内容はヤバくないのだから、可能に決まっている。

 

では、やってみよう。

 

外食の味をよく知らない若い女性に、まずわたしたちの商品を食べてもらう。気に入ってもらって、リピーターになってもらう。

 

肝心なのは初動のスピードだ。親元を離れて、食生活が変わる瞬間。その貴重な瞬間を逃してしまえば、二度とわたしたちの食事には、見向きしてもらえなくなる。

 

どうだろう。これならさすがに、問題発言だと言われることなどないのではなかろうか。

 

そして、逆説的に言えば。このかたちはまったく「ヤバくない」からこそ、同時にまったく、面白くないのだ。

 

ひとつ、想像してみて欲しい。「生娘をシャブ漬け戦略」と同じ内容に、まったく当たり障りのない名称がついていたとしよう。具体的な名称は……そうだな、たとえば、「うちの味にやみつき戦略」とでもしておこうか。まあ、分かりやすいネーミングだ。

 

企業の戦略家が、大学の授業に登壇する。初回授業、高い受講料を払って話を聞きに来た社会人学生たちを前に、彼は戦略の概要を説明する。そして最後に、こう自信たっぷりに付け加える。「これが名付けて、『うちの味にやみつき戦略』です」、と。

 

……おそらく、学生はこう思うだろう。

 

そのネーミング、もうちょっと、どうにかならなかったのだろうか、と。

 

「どうにかならなかったのか」問題。興味深いことに、「生娘をシャブ漬け」は、この問題を完璧に解決している。「どうにかならなかったのか」、すなわち、「ネーミングにインパクトがない」。それが問題になるのなら、もっと力強い表現で、学生の感性をぶち抜いてしまえばいい。

 

では、問おう。「生娘をシャブ漬け」以上に、インパクトのある表現が存在するだろうか?

 

すくなくともわたしには、思いつける気がしない。

 

まあ、知っての通り。この表現はもうひとつの「どうにかならなかったのか」を、新たに発生させてしまった。だがその「どうにかならなかったのか」は、もとのものとは少々性質が異なる。問題はインパクトの不足ではなく、むしろ過剰のほうに移っている。

 

インパクトの強いことば。それは強烈なイメージをもって、聞いたひとの脳に記憶を遺す。「生娘」は強い、「シャブ漬け」も強い。それらを組合わせてできる、犯罪のイメージもまた強い。どこにでもあるような戦略を、鮮烈な記憶へと変えるイメージ付け。

 

「生娘をシャブ漬け」という強いことば。ひとの記憶に残る表現として、それは間違いなく大成功を収めていると言えるだろう。なにせこのことばは、クローズな講義の受講者という枠を超えて、市井の人々の脳にまではっきりと刻み込まれたのだから。

 

そして。インパクトの強さこそ、面白さと密接に関係するファクターなのだ。