毒と遺言 ①

「ねぇ、まだわたしのこと、愛してる?」やわらかな手つきで吸入器を外しながら、少女はそっと息を吐いた。やせこけた両頬にわずかに茜が差し、力のない瞳が宙を見つめる。致死量の毒が彼女を殺すまで、長く見積もってあと二分。けれども彼女の儚げな様子は、ぴたりとでも触れれば壊れてしまいそうなその作り笑いは、そのごく短い時間すらきっと、保ちそうにないように思えた。

 

「愛してるよ」と精一杯の虚勢を張る少年の瞳は、顔面全体を覆うマスクの裏に隠れてよく見えない。その声はたしかに外に聞こえてはいるが、機能性を度外視した厳重さの防塵マスク越しでは、とてももとの声とは似ても似つかない。愛した彼女の最後の姿を直接に拝めないことを彼は憎んだ、彼女の声を、マイクと質の悪いイアホン端子越しにしか聞けないことを彼は恨んだ。彼女の白い額に触れ、流れる汗をぬぐってやれないことに彼は歯ぎしりした。

 

けれどそれはできない。このすべてが終わるまで。

 

「こんなことしたくなかった、って思ってる?」彼女は囁く。その声は電子的に増幅され、かつての恋人の耳に届く。少年はしばし逡巡し、だがすぐに、逡巡している時間はないことを思い出す。彼女はすぐに死ぬ。たとえ自分の中でまだ整理がついていない問いだとしても、ことばにすれば嘘になってしまうとしても、答えなければならない。

 

「したくないよ。でも……でも、仕方がなかったんだ。ごめん、許して、許してはくれないだろうけれど」

 

「いいの」と言って笑った彼女の表情は、痩せて衰えてはいるものの、元気だったころと変わらない。「『きみは必要なことをした』、みんなそう言ってくれるよ」

 

たしかにそうには違いない、と少年は思う。彼女は死ぬべきであり、だからこの冷酷な作業は必要なことである。彼女が死ぬべきだという判断は完全に正しいことであり、むしろ情が湧いて殺せなかった、となれば、そちらのほうが問題になる。少年の判断を非難する人間はこの世に誰もいないだろうし、少年はなんら、このことを気に病む必要はない。

 

だから彼は、胸を張るべきである。愛している少女を毒殺したということを、誇りに思うべきである。少年はそう、自分に言い聞かせる。

 

はたしてそうだろうか?

 

少年ははっと気づき、目を閉じた少女を見遣る。彼女は許してくれたのだろうか? みんな許してくれる、と彼女は言った、だが彼女本人は? それこそがいま一番大切なことなのに、彼は周りからの評価なんていう、余計なことを考えて時間を無駄にした。「きみは……」彼は慌てて口を開き、そしてことば半ばにうなだれる。

 

彼女は死んだ。最後になぐさめのことばだけを残して。少年はマスク越しに頭を抱え、だがせねばならぬことを思い出す。思い出し、あまりの途方もなさにめまいを覚える。

 

あと、九千九百九十九回。これを彼は、繰り返さなければならない。