プリント ①

たとえばきみがあの春の日、夕陽をバックに自転車をこぎながら、慣れない二人乗りにバランスを崩して危うく田んぼに落ちそうになったあと、路肩に腰掛けて彼氏へと向けた笑顔を、ぼくは倍率一京倍の対物レンズを通して、宇宙の彼方から眺めていた。

 

あるいはきみが小学生の頃、夏休みに家で育てて観察日記をつけるはずだった朝顔の鉢植えを学校から持って帰っているとき、交差点で転んで前へとぶちまけた鉢の中身を、通りすがった車が無慈悲に轢き殺していったあのとき、完璧だったきみの人生にはじめてついた取り返しのつかない汚点を、ぼくは究極の分解能を備えた音波計で、地殻の奥深くからじっと聴いていた。

 

もしくはきみが四十を過ぎて、もう若くないんだからとさんざん止められながらも無理やりに出場した市民マラソン大会で、最初の五キロで足を挫いて動けなくなったとき、年甲斐もなく担架で運ばれながらじっと眺めていた空の抜けるような青さを、ぼくは沿道に並ぶのぼりの先っぽから、同じ角度でまっすぐに見つめていた。

 

きみをぼくは『プリント』しなかった。することはいつでもできたし、世間的にはそうするのが普通だけれど、そうはしなかった。ぼくにはきみが、きみたちの世界にもっとも似合っている人間に見えて仕方なかった。うかつに『プリント』を要求して、きみをこちらに連れてきてしまえばもう、きみはきみでなくなってしまうような気がしたのだ。

 

ぼくのことをまわりは馬鹿だと言った。公益に反している、ともよく言われた。きみとぼくとが将来を約束された間柄であることはぼくの世界の人間ならだれもが知っていて、そして、そうすることが半ば強制されていた。ぼくがきみの世界に行くことはできず、きみがぼくの世界に来る方法が『プリント』以外に存在しない以上、ぼくの世界では『プリント』は義務なのだ。

 

きみたちは子孫を残せない。ぼくたちをコピーすることでのみ、きみたちは生まれる。きみたちが生存するにはまずはぼくたちが生存しなければならず、そしてそのためには、きみたちをこちらに連れてこなければならない。

 

世の中が人口を維持するには二よりわずかに大きいくらいの出生率が必要だが、わが国の出生率はずっと、一よりわずかに大きいくらいで推移している。このままだと人口はどんどん減少し、高齢化はどんどん進み、社会はじきに立ち行かなくなる。その状況を見て科学者たちが考えたのは、非常に単純な算数の式であった。

 

一は、二倍すると二なのである。