ヒロイン案 ④

「きみのさっきのことば、嘘だよね」口元をわずかに歪めながら、嘲笑うように彼女は言った。「きみはべつに、そんなに知りたいとは思ってない。わたしが何者だろうがきみにとってはどうだっていいし、わたしの目的がなんだろうが、自分には関係ないときみは思っている」

 

 三限の学食は空いていた。孤独を求めて昼食の時間をずらした学生たちがまばらに座り、食器がときおり品のない音を立てる。遠くから談笑が聞こえ、内容こそ聞き取れないものの、その笑い方からそれがくだらないものであると容易に想像がつく。天井の扇風機が低くうなりを上げ、空間を重たげにかき回している。

 

 彼女はぼくを先導し、まっすぐにここに来た。彼女の誘いをぼくは断り切れなかった――授業を聞いていない以上、あの暑苦しい教室にいつづける正当な理由はなかった。そしてなによりここには冷房が効いていて、言われるがままについてきたことを正当化してくれた。

 

「いま、きみが考えてることを当ててあげようか」彼女は再び口角を上げ、涼しげな顔に残忍な笑みが浮かぶ。「ここから逃げ出したい。毎週のように外見を変える奇妙な女に、自分の存在を知られたくない。でも」彼女は指でペンを一回転させる。「そうできるのに、きみはそうしないわけだ」

 

「それは違う」とぼくは言い返す。「気にならないわけがないだろ、きみが何者なのか。ぼくはただ……」ただ、何だ? 知りたいのなら、どうして言い訳をする必要がある? 目の前の相手に、きみはだれなんだ、とただ聞きさえすればいいじゃないか!

 

 ことばを引き継いだのは彼女だった。「……わたしを遠巻きに眺めていたかった。変な女がいるって知って、観察して、きみの知り合いとの話題にしていたかった。できればわたしとは、ずっと関わらないままでいたかった。わたしに知られないまま、来学期の授業でもわたしを探すつもりだった。そうでしょ」

 

「えっ」声にもならない声がぼくの喉を揺らす。図星だった。「気になる」ということばの裏に隠して向き合わないようにしていた自分の強欲に、強制的に引き合わされる。彼女の行動の目的が、ぼくは「気になっていた」。毎週のように見た目を変えることや、真面目に聞いていた授業を途中で抜け出すことに、どんな意味があるのか見当がつかなかった。でもその理由を真剣に考えてみたことは、ただの一度もなかった。

 

「そうだ」彼女は言い、おもむろにみずからの両目に触れる。カラーコンタクトの裏にあった、黒い瞳が露わになる。彼女はペンを持ち直すと、授業プリントの端に文字を書きつけ、その部分を切り取ってぼくに渡す。

 

田中陽子」彼女は言う。「幻滅させてあげる」

 

「えっ」ぼくはプリントの切れ端を見る。田中陽子、と書いてある。

 

 ぼくが状況を理解する前に、彼女はこの日一番の残忍さでぼくに笑いかける。「わたしの名前。ほら、こんなこと、きみは絶対に知りたくなんかなかったでしょ」