素人は黙れ

科学が見せてくれる夢とやらを無批判に信じ、まるで具体性のない夢を語る科学者のことばを鵜呑みにし、未来世界のこれが主流になるのだと無責任に豪語する、そんな浮かれた人間ではわたしはないはずだった。科学が未来を変えることがないわけではないとはいえ、変化とはいつも具体的なものでしかありえず、だから目の前のものがなんとなくすごいような気がするという理由で、技術を礼賛したりはしないつもりだった。

 

なにかを礼賛する前にそれ相応の知識を持つべきだ、というのがわたしの信念だった。高度に発展した科学は魔法と区別がつかないとはよく言ったものだけれど、だれかにとって科学が魔法であるのは、単にその本人が当の科学技術をよく知らないからにすぎない。よく知らないやつの語る夢とはたいてい途方もなく遠い夢であり、まったく飛躍した実現不能なフィクションであり、だからもしそんな夢を実現できるとすれば、目の前の技術とはまったく関係のない分野での巨大なブレイクスルーが必要になってくる。

 

かくして素人に夢を語る資格はない。原理も構成も理解せず、技術を等身大の技術ではなくまだ魔法だとみなしているやつのことばは、ただ世の中を引っ掻き回すだけだ。エーアイってやつを使えばなんでも上手くいくんでしょ。うちの帳簿の管理にも、エーアイってのを活用できないものかね。ほらきみやってみてよ、エクセルとか詳しいでしょ。

 

けれどもそのポリシーはいま、破れ去ろうとしている。言語モデルってやつのせいだ。わたしは機械学習をよく知らない、あのモデルの作り方を知らない。学習用のデータセットも、その使い方も知らない。古典的な自然言語処理については授業で少し習ったが、言語処理分野の研究者にとっては残念なことに、いまの言語モデルの中身とはもう、根っこの部分から発想が違うらしい。

 

けれどもわたしはあれに夢を見る。あれが未来を変えるのだと確信し、あれこれ語ってしまう。具体的なことはなにひとつ知らないのに、あれはすごいという感想だけで、ふんわりとした無根拠に基づいて妄想を働かせる。わたしはこれほどまでに無責任な人間だったのか? 迷惑な人間と、簡単に同化してしまうのか?

 

技術の中でもきっと、言語モデルは特殊だ。だから言い訳なら、いくらでも思いつく。ほかの技術の扱うものと違って言語は身近なものだから云々。実際に使っているのだから夢くらい語っても云々。そもそも情報科学なら少しは知って云々。けれどどんなことにも言い訳は可能だし、それに重要なのは言い訳の内容ではない。

 

わたしは言い訳をせねばならない。その事実が、わたしがわたしでなくなっている証拠。わたしが新技術の夢を語ってこなかったのは、無責任という理由でみずからを律していたからではなく、単に、夢を見るのがそう好きではなかったからだ。

 

そしてわたしは夢を見た。言い訳が何であれ、それはわたしの傷口である。