機会損失

せっかくのゴールデンウィークなんだし旅行でもなんでもしてみたらいいんじゃ、と一言でも提案しようものならきみは、なぜよりにもよって今行かねばならぬのだと嘯いて、いつもの嘲笑を顔に浮かべる。なるほどきみは年中暇だから、旅をするのにわざわざこんな、あらゆるところが混雑する時期を選ばなくったっていい。きみがそうであることは万人が知っている事実だときみは思っていて、だからそういう提案をするひとを、きみは一人残らず馬鹿だと思う。

 

とはいえきみは感づいている。旅先が混んでいるとかホテルが高いとかそういうそれらしい理由は、きみが旅に出ない本当の理由ではないということに、だ。良いホテルが安くであいていてもきみは旅行をしないし、しようと計画したこともない。きみが行動を決めるうえで、ふらりとどこかに行くという選択肢はまるでない。つまりきみが旅をしないのは単に、そうしようと考えないからにすぎない。

 

とはいえきみは、旅行が嫌いなわけではない。諸国を旅するのは好きですかと聞かれればきみは好きだと答えて、どの国が観て面白かったかとかどの国の飯が美味いかとかそういう話題で盛り上がる。きみが自分から旅に出ようとしないのはひとえに旅の準備をするのが面倒くさいからであって、その点さえなんとかクリアしてしまえば、きみは普通に旅を楽しむ。

 

やれば楽しいと分かっていることを、きみはしない。その時間でべつのもっと楽しいことをするのかと言えば、それもやっぱりしない。

 

こうやって日々機会を逃し、きみはトータルで人生を無駄にしている。そのことをきみは知っていて、開き直っている。人生とは最初から無駄なものだろうとニヒルなことを言って恥ずかしく思わないほどきみは若くないけれど、とはいえきみは、つまらない人生を宿命として受け入れている。

 

だれかの人生を語るなら、そのひとが成したことで語るのが常だ。それが人生の大枠であって、伝記で捨象されない物語である。だが旅行とは消費であり、些細な細部であり、成したこととはとても呼べない。きみはそうやってきみがみずから選び取った機会の損失を矮小化するけれど、そういう言い訳をしてちゃんと成立するのは、波乱万丈の人生を送ってきた人間だけだ。

 

きみはぼくだ。だからいまぼくが述べたすべてのことを、きみは理解している。理解したうえできみはこういう人生を続ける。ぼくのことばはなんの戒めにもならないし、それはぼくが、戒めにもならないことばかり言っているからだ。この件に関してきみはいちど痛い目を見たほうがいいかもしれないけれど、都合よくそういう目に遭うことなんてないのだということもまたよく知っている。